予想外のプレゼントに懐かしさを覚えた
2021年2月15日 自宅
生活の彩り
やっぱり、嬉しいものだね。
ピンポーン
「お届け物です」
あれ?
今日はお願いしている配達はないはずだが。
頭に疑問を浮かべながら、ドアを開ける。えっ、お花のお届けだと。郵送で頂いたのは始めてだ。ちょっと、ドキドキする。宛先をみる。昨年まで通っていた、法律の勉強会の主催者さんからの贈り物だった。遅くなったとのメッセージ付きの誕生日プレゼントだった。アレルギー持ちで水の入れ替えをする体力もない。そんな私を気づかってか、ブリザードフラワーという手入れが必要が無いお花を選んでくれた。勉強会に参加していた時に「センスのいい素敵な女性だ」と思っていたが。贈り物にもスキはない。
すごく嬉しい。
私は自然が好きだ。お花も大好きだ。それなのに、公園に行く元気もなければ草花を育てる余力もない。ネット上に投稿されている花々の画像を眺めている毎日だ。そんな花のない生活に可愛らしいアイテムが届いた。ふとんの周りで時間が過ぎる日々に楽しみがひとつできた。テンションがバカ上がりである。そのせいか、お礼メールを送るのに時間がかかってしまった。清書前の文章は完成時の3倍はだった。興奮すると話が長くなる。私の悪い癖だ。
どんな時でも、お花をもらえると嬉しい。
現在は気持ちが沈んでいたので、普段以上に嬉しかった。これほど嬉しいのは、中学生の時以来だ。あの時も不意打ちだった。
高校受験が終わり、中学校の卒業を迎える数日前だったろうか。母を亡くして半年が過ぎたぐらいで、卒業を祝う人が誰もいない。そんな状況に違和感を覚えることもなく、淡々と毎日を過ごしていた。夕方ごろにチャイムが鳴った。当時は町内会の集金以外で尋ねてくる人もいなくて、『変な人なら居留守を使おう』なんて考えながらドアの覗き穴から観察した。中学校1年の時に転校した。そのときの担任の先生が花束をもって立っていた。
めちゃくちゃ驚いた。
転校の表向きな理由は父の仕事の都合だった。真の理由はイジメが酷すぎたのがゆえの引っ越しだった。小中学校連携での学校ぐるみというか、地域ぐるみの隠ぺいだった。そんな中でも、わずかでも助けてくれたうちの一人が目の前にいた。「いじめられる苦しさを知っている人間が同じ行動をとるのか」と、憎らしい人たちと同類になるのを止めてくれた先生でもあった。
2年ぶりの再会だった。その間に連絡をしたことは一度もない。自宅まで足を運んでくれたのに話した時間は5分もなかった。玄関先で祝いの言葉をのべ、担任の先生は静かに去っていった。その後に交流も一度もない。
そのときは、嬉しいとは感じていなかった。ただただ、意外との想いだけがあった。精神が凍りついていた時期で、感情が何もわからなくなっていた。 それでも、心が少しゆるんだような感覚があった。今にして思えば、この出来事も凍りついた精神が溶けるきっかけになったのだろう。現在の自分ならば、喜びの表情を浮かべることができたのに。いびつな態度しかとれなかったことを後悔している。
頂いたブリザードフラワーを抱えながら思う。
修羅場だらけの人生だけど、
こういう思い出がある私は不幸ではないんだな。
法律の先生、
心温まるプレゼントをありがとう。
大事にします。
贈り物の価値は値段ではない。
添えられた気持ちだ。
心に残る記憶に勝るモノなんてない。
自己紹介でもある記事
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