プランという言葉は私の辞書にはない
2021年2月23日 自宅
ただ、目の前のことだけを。
それが掴んだ選択肢だった。
体が動かない。
裏側にトゲがある重りが体中に貼りついているような感覚だ。思ったように指先すら動かない。水を飲むだけでゼーヒーとか、もう笑うしかない。この状態だと、鎮痛剤が効きだすまではトイレすら我慢一択だ。こんな風な体調になる日が前触れもなく訪れる。普通の精神なら絶望している。
まぁ、私は変なので「またか」で終いだが。
我が人生、プラン通りになったことが一度もない。七五三の祝い中に親戚が亡くなったと連絡が入るとか、電話の最中に母親が意識不明の重体になるとか、叔父が病院で自殺したとか、予想できるはずもない。予兆なく、修羅場が飛び込んでくる。予想外で嬉しかったイベントは、初出場の将棋大会で北海道旅行のチャンスを知ったぐらいだ。しかも、この修羅場がただの修羅場じゃない。修羅場のうち、半分以上は死亡エンドや破滅エンドの可能性ありなのだ。ただでさえ、貧弱体質で体温が40℃~34℃の間を行ったり来たりするのに。成人するまでは、人生プランを立てる余裕すらないハードモードだった。
そういう生活を20年も過ごすと、修羅場が減っても人生プランを作る気になれない。人生トラブルに対応するための備えはもちろんする。これに、日々を楽しくだけで思考回路が止まってしまう。「どうせ、プラン通りにはならないよ」という声がするのだ。後に、この心の声は正しいと証明された。20代後半で寝たきり状態は予想していなかった。どこまでも、平穏がない人生である。
未来を考えられない。
こう言葉にすると、悲劇的に聞こえる。ただ、私自身はそんな気持ちは一切ない。むしろ、未来を考えられなくて良かった。思考回路を止めてくれた心の声に感謝している。だって、人生プランを立てていたとしたら。
寝たきりの時点で絶望している。
体が動かないと、他者の助けが無ければ呼吸ぐらいしかできない。夢いっぱい、希望いっぱいでそんな状況に放り込まれたら。目指していた人生プランとの差で精神に特大ダメージを食らっていた。そう考えると、必死で人生プランの立案を止めていた声は心の防衛機能だったのかもしれない。12歳で体中が痛み出し、15歳で内臓の機能が弱り始めていた。そう長くは身体が持たないと無意識では気づいていたのだろう。動かない体への心の準備ができていたのだ。
なので、寝たきり状態の時も精神は安定していた。『希望を強く持って』という言葉は病気がテーマのドラマによく出てくる。当事者として思う。その言葉、結構なギャンブルなんですが。希望と絶望は重なり合っている。希望があるから、現実との差で絶望するのだ。他者にこの言葉を語る人は、希望が潰えたときに相手を支える覚悟で口にしているのだろうか。私にこのセリフを言った人で、その覚悟があった人は一人もいなかった。実際に支えてくれた人は、希望を語らない人たちだった。
未来は予測できない。
よくよく知っているので、私は人生プランを立てない。
だからこそ、
どれほど修羅場が来ても絶望することはなかった。
この瞬間を大事に生きる。
それが、私ができる全てだ。
希望の光が強いほど、絶望の闇は深くなる。
自己紹介でもある記事
↓ ランキングに参加中です。