歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】正当な批判ほどしたくない

正当な批判ほどしたくない

 

2021年2月20日 自宅 

 

やっぱり。

 

余計な口出しは害だね。

 

 

難しい。

 

いや、久しぶりにパートナーに誘われて。TVでクイズ番組を観ていたのだが。30分ほどで2問ぐらいしか正解が出せない。国旗に裏表がある国だとか、Googleの名前の由来だとか、知らない事ばかりで面白かった。GoogleやYouTubeに絡んだ問題が視聴率が高そうなタイミングで出題されたのでスポンサーは察したが。こういう大人の事情に気づくのは、クイズの回答よりも昔から得意である。

 

こういう自身の足りなさを感じるたびに思う。やっぱり、批判はするもんじゃないなと。ネット上でも、対面でもよく見かけるが。批判した相手がその道の専門家や実体験者で、批判した人間が恥をかく。「自分じゃない、世の中が間違っている」「真実を知っているのは自分だけだ」と逆ギレするパターンもよくある話だ。そういう場面を目にするたびに『沈黙は金だな』と心に刻む。

 

とはいえ、批判をしなきゃいけない立場になることがある。そういう時でも、相手の面子はつぶさないように気をつける。常に『自分が間違ってる可能性もある』ことを忘れない。だいたい、人間が最も腹を立てるのは理不尽な批判ではない。自己正当化ができないほど真っ当な批判された時だ。正当な批判をする時ほど、自分の立場が有利な時ほど、言葉にするときは気をつかう。個人的には、恨みを買いやすいので正当な批判はしたくない。とても後々の対処が面倒なので。

 

正しいことを言えば、いつかは理解してくれる。

 

残念、人はそんなに公平ではない。もし、それが正しいならば。世の中に格差もなければ、戦争だってない。むしろ、正しいことを主張するほど都合の悪い人たちに攻撃される。”歴史 弾圧”で検索すれば、その証拠は読み切れないほど出てくる。他者に意見を受け入れさせたのは、正しさよりも利益だった。利害の一致は、どれほど憎しみあった相手同士ですら協力させてきた。正しさという名の大義名分を用意できれば完璧ではあるが。

 

なので、批判という行為をする気になれない。間違っていれば評判が悪くなり、正しければ攻撃される。どちらに転んでも、批判するメリットをデメリットが上回っている。

 

ネット上では、匿名性が高いと勘違いされているので批判が人気だ。弁護士に依頼すれば簡単に引っぺがされる。薄っぺらい仮面でしかないのに。相手が本気になれば、裁判で訴えられる。相手が逮捕されてもいいと思っているなら、報復として個人情報を流される恐れもある。勤務先に『名誉棄損で訴えます』という内容証明を送付する。そういう手も使えなくはない。

 

攻撃されてもいい。

 

その覚悟もなしに、批判なんてするものじゃない。

 

 

批判は恨みの素

 

正しさは、なんの免罪符にもならない。

 

 

 自己紹介でもある記事

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