歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】お久しぶりのない再会

お久しぶりのない再会

 

2021年2月18日 自宅

 

沈黙を守る。

 

これも、ひとつのマナーだ。

 

 

最近、遊び始めたゲームアプリ『ツイステッドワンダーランド』がとても面白かったので、ちょいとニコニコ動画でファンの3D作品をいくつか視聴してみた。よほど、この作品に惚れこんだのだろう。「動画投稿を卒業します」と去っていった方々が幾人も戻っていた。キャラクターも、ストーリーも、魅力あふれるゲームだ。納得の展開である。

 

投稿を再開された方々のアカウントは変わっている人もいれば、以前と変わらない人もいる。名前を確認しなくても、作品に没頭すればわかるので気にはしない。動画作成は体調不良でまったく練習できていないが、3D動画の視聴は延々としている。この前、ニコニコ動画の有料会員歴を確認したら13年だった。作り手でなくても、それだけ視聴を続けていれば気づけることは多い。投稿名で惑わされたりはしない。

 

文章、音楽、画像、動画など、どんなジャンルでも作り手の癖は隠せない。「名前を変えればチャラになる」「匿名だからバレない」というほど甘くない。これまでの自分とは違う表現にしようとしても、どこかに独自の痕跡が残る。オタクを30年ほど楽しんでいると、かつて楽しんだ世界と似た香りのする作品に出会うことがある。その投稿者の作品を古い順に読んでみたら、「この話、10年前に読んだことある」と再会する。こういうパターンが、どのジャンルでも少なくない。なぜ、わかるのか? それは、私にもわからない。『なんとなく、懐かしい感じがする』としか言えない。

 

ちなみに、過去に気づいても黙って胸に秘める。過去作品を残している方の場合は、「~の頃に楽しんでました。また、あなたの作品に出会えて嬉しいです」とコメントすることはあるが。相手が明言していない限り、こちらから何も言わない。作り手の場合だけでなく、すべての出会いで実行している。

 

過去はきれいなだけじゃない。

 

私は毎日のように文章を書いている。1年以上前に投稿した記事を見直すと、マントルまで穴を掘り、マグマに飛び込んでこの世から消えたくなるように気持ちになる。過去作品だけでも、なかなかに耐えがたい。人生ならば、もっと重い出来事があっても不思議ではない。だから、「また、出会えたね」とほんわかするのみだ。口も、手も、動かすことはない。

 

初対面で激重な打ち明け話をされることがある。二度と思い出したくないような修羅場が、これまでに数えきれないほどあった。そんな私は、相手の望みがわかるまでは「お久しぶりです」とは言えないのだ。

 

大好きだった作り手との再会も、

もう二度と合わないはずだった人との再会も、

 

相手の存在確認ができた。

それだけで、私は十分なのだ。

 

 

過去は、美しいものだ。

 

相手にとっても美しいかは、また別の話だ。

 

MikuMikuDanceでPさんと呼ばれる本

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