心身の不自由はリカバーできるのか?
2019年5月22日? 自宅
起きた、日が陰っている。
夕方が間近なようだ。
スマホで時刻を確認する。
15:38、予想どお
「えっ」
10/25、何度確認しても10/25の表示が動かない。私の記憶では、ベッドに横になったのは10月21日だった。それなのに、今日は22日朝ではなく25日昼過ぎだ。一瞬焦ったが、3秒で落ち着いた。今更ドタバタしたところで、現状は1ミリも変わらない。まずはスケジュール帳をめくり、謝罪すべき相手がいないか確認した。
私の意識はたまに飛ぶ。理由は熱が多いが、それ以外の時もある。線維筋痛症の神経異常と解離性障害の記憶消去が、ダブルで襲ってくることもある。治せるなら治したいが、現状は限りなく厳しい。ご都合主義な精神なためか、大事な用事が控えている場合はまず起こらない。ただし時間は消失している。1週間が、私の周りだけ3日間になったりする。録画をミスったアニメのように3話飛ばして最新話を観る気分で、1日を過ごすハメになる。新キャラがなぜいるのか、ここがどこかもわからない。そんなつながりの欠落を混乱と共に受け入れる。しかもアニメと違って、見損ねた話を視聴するチャンスはない。周りの情報で埋めるしかない。
まずは失った時間を正確につかむ。3時間、6時間、3日、1週間、1ヶ月。それから、積み上がった連絡を処理する。言うまでもなく、長い期間であるほど厄介だ。受信トレイなんて、広告を含めたら3日分でも3桁単位だ。1ヶ月なんて悪夢でしかない。チェックしなくていものを選り分けるだけで、時間がドンドン消費される。アカウントを消去したくなる誘惑は、いつだって強力だ。
次に記憶がない時期の主要ニュースにザッと目を通す。これは期間に関係なく一時間以内と決めている。区切らないとキリがないからだ。タイトルを走り読みする程度だが、ソレでもつかめるものはある。深堀りしたい場合は、ブックマークして後から読む。調べ物は通常モードに戻るまでおあずけだ。
最後に予定を組み替える。ポイントは捨てることだ。使える時間が消え去ったのだから、その分やりたいことを削るしかない。譲れない延期できるものは保留するが、たいていのモノはリストから消す。無理にすべて実行しようとすると、体調悪化でまた寝たきりにカンバックだ。『大事なものを残して他はさよなら』が、現実的な選択である。
現代科学でも解決できない、そんなモノはいくらでもある。治せない症状だって、たくさんある。そんな現実を嘆いたところで状況はよくならない。出来ないことを数えれば、気分は落ちこむ。気分が落ちこめば、心身の調子はさらに悪くなる。さらに出来ないことが増える。下降の螺旋階段へご案内だ。それぐらいなら、出来ることを数えて工夫する方が気楽だ。
幸せと健康は似ている。「健康になりたい」と思っている限り、よくはならない。なぜなら『今、私は不健康で苦しい』と潜在意識に繰り返し書きこんでいるからだ。潜在意識には、書きこまれた内容を実現させようとする仕組みがある。つまり、不健康になる決断を無意識に選ぶようになる。
そんな未来を避けたいなら、苦しさを忘れるほど没頭できる先を見つけることだ。見つけたら、日々の予定に組み込んでいく。「不健康だ」という想いを没頭で塗りつぶす。健康度が上がるかは運次第だが、少なくとも心身の不自由さを嘆く時間は減る。『幸せよ、こんにちは』だ。もっと言えば、健康は幸福の保証書にはならない。健康をお金、立場、名誉に変えても成り立つ。良くも悪くも状況で幸、不幸が決まるほど世の中は単純ではない。
車は、運転手が見続ける場所に進む。
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