我慢が奪うものは?
2019年12月27日 自宅
慣れてきた。
なにが?
激痛に慣れてきた。
子宮の内出血の線維筋痛症の痛みのコラボは、単独で襲ってくる痛みの2倍どころじゃない。だが、鎮痛剤もなしに数日ほど我慢していたら慣れてきた。さすがにぜんそくの発作で身体が揺れるとキツイが。
たぶん健康な人は耐えられないだろう。生まれた時から無痛状態を知らない私だからこそ、笑っていられる。常に体のどこかがおかしいのは不運かもしれない。だが、無痛状態を味わってしまえば、おそらく痛みに対して弱くなる。痛みだの、苦しみだのは、これまでの人生経験で感じ方が変わる。ただ塩をなめた時よりも、砂糖をなめた後の方がしょっぱいように。
ちなみに、自分ができるからと他人に押しつける気はない。例えるならば、私にとって体温38度は健康な人の体温36.8度の感覚だ。ナイフが手に刺さった痛みは、針で指をさした感覚ぐらいだろう。基準がこれほど違うのに、単純に比較するのは無理がある。
健康な人と私の基準は、肉眼でとらえきれないほど差がある。けれども、ここは共通点だなと思えるポイントがある。
我慢が続くと、体力が奪われる。
ここ最近の激痛で、体力が笑えないぐらい落ちた。やっと椅子に3時間連続で座れるようになったのに。また数十分で冷や汗生活に逆戻りである。絶え間なくづく痛みを耐える日常が、確実に私の体力を消耗させている。子宮内の出血が続いているのもマイナスポイントである。
ちなみに、明らかに肉体労働の少ない事務職の人が過労死する原因もこれである。日々のストレスで体力が消耗、精神が不安定なので栄養補給がうまくできない。睡眠の質も下がる。結果、我慢による消耗を補い切れずに命が消える。
我慢は身体によくない。
これを否定する人は少ないだろう。だが、我慢するしかない人がこの世には存在する。例えば、病気は逃げようがない。自分の身体から逃げる方法があるだろうか? だからこそ、大事なのだ。
楽しい、この感情が。
いかに心身の苦痛を忘れられる時間を持つか?
ここが人生の質の分かれ目である。
我慢だけでも体力が減っていく。それなのに、大きすぎるストレスまで抱え込んだら倒れてしまう。なお、心身の苦痛を忘れる方法はなんでもいい。私は本、ゲーム、動画である。
しんどいとか言ってるのに、遊ぶ元気があるじゃないか?
なんて、他人の非難は無視だ。
我慢する時間を減らす、ストレスを発散する。
自分の心身を守るのが最優先である。
だから私は、今日も寝ころびながらゲームを楽しんでいる。パートナーの責めるような視線は見ないふりをしている。気づかぬふりも、平和を保つのに有効だ。
過ぎる我慢は身を亡ぼす。
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