私が文章を書く理由
2019年9月14日 自宅
今年2月28日にブログをはじめて半年を過ぎた。初心を忘れないために、「なぜ文章を書き始めたか?」を思い返してみた。
はじめて自ら文章を書いたのは19歳の時、『スレイヤーズ』の二次創作だった。理由は「自分が読みたいシュチュエーションの話がなかったから」だ。数本書いて、感想も有り難いことにいくつか頂いた。だが、仕事の忙しさで遠ざかった。ちなみに小さな同人即売会で買い物をしたのも、この頃だ。いつかコミックマーケットに参加するのが夢だ。体力という最大の壁がなかなか破れない。
次に文章を書いたのは4年ほど前だ。『刀剣乱舞』の二次創作ショートストーリーをいくつか書いた。寝たきり中で暇だったのが最大の原因だ。リクエストに応え、頂いたお題でストーリーを考えるのは楽しかった。早い時はリクエスト後、3時間ぐらいで書いた。今振り返れば、一気書きと早書きのスキルはここで磨かれた。
どちらも半年ほどで、読む専門に戻っていた。
書き続けるほどの体力も信念も無かった。
真剣に文章を書こうと決めたのは、去年の11月だ。寝たきりから復活し、「何かできることはないか?」と悩んだ。そのとき、ふと思った。
『自分が助けられたように
少しでも前を向くきっかけとなる
物語を描きたい』
文章を専門に学んだ経験もない。それどころか、休みがちだったため学校で文章を書いた量も少ない。健康とは縁がなく体力もない。目立った肩書もない。条件が良いとはとても言えない。それでも、なぜか書きたい気持ちは薄れなかった。
ここで運が私に微笑んだ。作家さんのセミナーの休憩時間に盛り上がった相手が、偶然にも作家さんだった。その後、いっしょにお茶をする機会があり想いを伝えたところ「そこまで熱意があるなら大丈夫だろう」と学ぶ先を教えてくれた。
そこは”天狼院書店”という、変わった本屋さんだった。
そこに半年間、みっちり学ぶことで最低限の基礎は身につけることができた。今、サクサクと記事が書けているのは、天狼院書店と教えてくれた作家さんのおかげである。感謝の言葉しかない。「ありがとうございます」
ブログで毎日更新を続けている。そんな最中に、ツイッターである言葉に出会った。自分の方針が決まった瞬間だ。
『自分が読みたいものを書け』
はじめて、自発的に文章を書いた理由と同じだった。
目的の文章がなくて困った経験は二度ある。一度目は母を電話越しに亡くして無感覚に陥ったとき、二度目は寝たきりになったときだ。一度目のときは友人が観せてくれた『スレイヤーズ』をきっかけに目が開き、『7つの習慣』でコンパスを見つけた。二度目は『刀剣乱舞』で生きる気力が湧き上がり、試行錯誤と家族の助けで復活した。
この経験でつくづく思った。
いい情報を実行できない。
なぜなら、ほとんどの情報は心身が健康な人に向けられている。
不健康な人間はあきらめるしかないのか?
一度目のときは絶望を通り越して虚無の心だった。そんな人向けの情報なんてインターネットはじまりの時代はまず無かった。二度目の寝たきりのときも動、くことすら難しい人間への情報は健康な人の十分の一も無かった。これは無理もない。文章を書くには気力と体力の両方が必要だ。心や体が弱った人間に書けというのは無理がある。
だから、私は弱っている人向けの文章を書こう。
そう、決めた。
私には常に3人の読者がいる。
1人は子供の頃の、何も知らない自分
1人はすべてを疑っていた頃の、ひねくれ者の自分
1人は寝たきりの頃の、本が読めないほど衰弱した自分
知らない人にもわかる、素直に受け入れられない人にも届く、読みやすい文章を心がけている。そして、読んでくれた人が少しでも呼吸が楽になればいいと願っている。
なかなか理想へはゴールが見えないほど遠く、自分の至らなさに日々へこんでいる。それでも、なんとか書き続けているのは、これまで自分を助けてくれたたくさんの物語と支えてくれる家族や友人、そして読者の皆様のおかげだ。「ありがとうございます」
「これからも、どうぞよろしくお願いいたします」
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