他人の不運を利用する者は?
2020年11月2日 自宅
効果はある。
だが、代償は割に合わない。
また燃えてるわー。
何かを批判する内容を投稿、その投稿に批判のコメントが集まる。そんな批判合戦が起こっていない日はない。TVでも、ラジオでも、ネット上でも、対面でも、場所を問わず終わらない。しかも、内容の本質に変化があまりない。20年前にも目にしたような話題が未だに火種として使える。こういう状況をみるたびに思う。人というのは誰かを攻撃するのが好きなんだな、と。
基本、批判では相手の意見は変わらない。批判されるほど、批判された意見にしがみつく。意見への批判なのに、自分への批判と捉える人は少ない。これを利用した炎上マーケティングは最近できたものではない。この言葉が生まれたのはインターネットが活発になってからだが、手段としては昔から使われている。しかも、始まりは商売ではない。相手の国を乗っ取るとか、戦争のきっかけを作るとか、政敵を引きずり落とすとか、血なまぐさい話がゴロゴロ出てくる。古臭いどころか、博物館に展示されるレベルの歴史がある。こういう手段が最も恐ろしい。
防げないからだ。
よく知られているのに、この手段にからめとられて破滅した実例が残っているのに。それでも、現代まで途切れることなく続いているのだ。そういう手段は人の本能を上手に利用している。本能というのは、理性で完全にコントロールできるものじゃない。冷静さを失うとすぐに罠にはまる。
ただ、批判を利用する手段は長続きしない。
特に不運をネタにするものは。
批判というのは、他者の興味をひきやすい。同じ意見の人は「よくぞ言ってくれた」と気持ちよくなる。違う意見の人は「そんなの間違っている」と怒りにかられる。つまり、同意の人も反対の人も近寄ってくる。これほど、手軽に他者の注目を集める手段はなかなかない。そして、意見が過激になるほど多くの人が集まる。しかも、過激な意見ほど他者の感情を煽るので冷静さを奪われやすい。騙しやすい人の群れがたくさん集まるのだ。これほど、商売のしやすい環境はない。
一時だけをみれば。
何年も前の話だが、他者をネット上で活発に批判していた人が殺された。命を失う事はなくても、大勢の批判にさらされ商売にならなくなる。だいたい、炎上マーケティングは10年もたない。ネット上は偽名を使い放題、名前を変えればいい? 人の負の感情の怖さをなめている。ネット上の匿名なんて、弁護士に依頼するだけで丸裸にされるような薄っぺらいものだ。自画像の瞳に映った景色から住所を特定するような猛者もいる。
私はネット上だけでなく、対面でもロクでもない結末を迎えた現場をみた。なので、他者の不運を利用しない。私が利用するのは自身の不運だ。修羅場ネタや失敗ネタに困らない人生だ。これを利用しない手はない。それに、自分のことなので他者の恨みもかいにくい。私は面倒が嫌いなのだ。有効な手段であっても、トータルでマイナスならば使わない。
批判は割に合わない。
これが、私の結論だ。
批判できない意見?
そんなものは、この世には存在しない。
自己紹介でもある記事
↓ ランキングに参加中です。