『病院スクランブル』 憎しみは、ウイルス
2019年3月25日 自宅
ボロ泣き後、映画『運び屋』についての記事を書き終えた。感情が強く揺さぶられたのが、良かったようだ。いつもより、短い時間で書き上がった。その間ずっと、”憎しみ”について考えていた。
すれ違いで憎しみ合うのは、家族だけではない。友人、知人に隣人を憎んでも不思議ではない。不幸の原因だと、一度も会ったことのない人を憎むパターンもある。学校、会社などの組織、国まで広がることも少なくない。まとまった団体同士が憎しみを向け合うことも、珍しくない。
”人を呪わば穴二つ”という言葉がある。私は、穴二つで済めば軽い方だと感じる。憎しみは、ウイルスのように広がる性質がある。本人と相手だけで被害が収まることは、めったにない。たいてい周囲も巻き込む。それどころか、インフルエンザのように感染拡大していく。いや、インフルエンザの方がまだマシだ。きちんと対処すればウイルス感染は抑えられるが、憎しみは簡単には無くならない。憎しみを抑えるのも、忘れるのも、許すのも、とても苦しみを伴う。しかも生きてる限り、薬物依存のフラッシュバックのように当時の感情が蘇ってくる。病気治療よりも、禁煙療法に近い。
これまでの経験上、憎しみは消化するのが自分の為である。許すとしても、相手のためでも、周りのためでもない。自分の人生をより良く過ごすためである。憎しみにとらわれている限り、自分の意識の殆どは憎んでいる相手に向かい続ける。心に深い傷を残した過去が、動画を繰り返し視聴するように、脳内で何度も再生される。真っ先に崩壊するのは、自分の人生である。
だからといって、無理に許そうとか、忘れようとすると逆効果である。苦手な食べ物の味をよく覚えているように、消そうとすればするほど、憎しみが雪のように積もていく。そして、我慢しきれず爆発するか、命の終わりが来るかのチキンレースになる。私が過去に死に向かった理由のひとつが、これだった。『ジキル博士とハイド氏』の物語のように、憎しみが増大する前に終わらせようとした。
オススメは”距離をとる”ことである。憎しみの対象に近いほど、感情に飲まれやすい。憎悪する相手が目の前にいるのに、憎むなという方が無理がある。よく傷つけた側や周囲が「反省しているから、許してやれ」「また仲良くしよう」「償いをさせてほしい」と、被害を受けた側に要求することがある。これは、憎しみの炎に燃料を足すだけである。待ち受けるのは、悲劇である。表面上や短期間は取り繕えたとしても、いつか破綻する。どうするかは、傷つけられた側が決めることだ。許すも、許さないも自由である。本人以外に、決める資格はない。
一度崩れたものは、元には戻らない。可能なのは、崩れた時点から、新しく始めることだけである。どれほど過去の関係が素晴らしくても、同じ形には二度とは戻らない。そして関係を終わらせのも、選択肢のひとつだ。直せないものを、無理に修復しようとすれば、今あるものすら失うはめになる。
離れることが最もいい選択、そんな関係もある。
『スティーブンソン作品集・7作品⇒1冊』【宝島・ジキル博士とハイド氏収録】
- 作者: ロバート・ルイス・スティーブンソン
- 出版社/メーカー: スティーブンソン作品集・出版委員会
- 発売日: 2015/09/06
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
↓ ランキングに参加中です。