歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】グチは毒抜き

グチは毒抜き

 

2019年8月26日 自宅

 

「さすがに、これはひどいよ」

 

本音を打ち明ける相手がいれば、

きっと多重人格にはならなかっただろう。

 

私は基本、笑顔だ。けれども、いつも心から笑っているわけではない。小学生の時に「笑顔が最も表情を隠しやすい」と気づいたからだ。始めは母に心配をかけないためだった。それが段々、心を隠す仮面になった。そのうちに笑顔の仮面が外れなくなった。それが行き過ぎて心が壊れ、仮面は別人格に進化した。弱音を吐いていたら、ここまで重度の精神障害にならなかった。

 

「暗い言葉は運を下げる」

「前向きな言葉を選ぶ」

「言葉が人生をつくる」

 

どれも正しい。だが、人の我慢には限界がある。どれほど良い点に目を向けようとしても、前だけをみて進もうとしても、怒りや悲しみはゼロにはならない。たとえ「たいしたことじゃない」「昔に比べればマシ」「気にしない」と自己洗脳をしても無駄だ。無意識の部分で負の感情が蓄積していく。いずれ心が壊れる。

 

無意識の厄介なところは、本人も周りも気づかないことだ。徐々におかしくなっていくので、短期間の変化があまりに少ない。池にコップ1杯分の水が増えたところで、気づける人がいるだろうか?

 

私の心が壊れだしたのは小学生の時だった。「なぜ、わかるか?」、記憶が途切れだしたのが小学校4年生ぐらいだからだ。読んだ本や楽しんだゲーム、学んだ知識の記憶はあるのに、日常生活の記憶が虫食いのように抜けている。中学生時代の記憶など半分以上ない。3歳のときに公園で遊んだ記憶や、幼稚園の頃の記憶ですら朧気にある。それなのに、最近も含めて記憶に穴があるのは異常だ。

 

なお、周りは気づいていない。私自身も記憶の欠落を知ったのは今年だ。寝たきり時代を支えてくれて友人が教えてくれた。精神科で受診する。そう、伝えたときに「実は、あなたには別人格がいる」「記憶も抜け落ちている」と伝えてくれた。私の別人格は皆、演技派だったようだ。

 

そして、病院で『解離性障害』と診断された。

 

心を守るために人格が分裂、人生トラブルが起きるたびに人格が増えていった。記憶が欠けているのも、メインの人格が耐えきれない記憶を別人格が隠しているらしい。この前、ひとつ戻ったが1週間はへこんだ。記憶障害トータル10年分の闇は深そうだ。だって、心がこれ以上壊れないために自殺しようとする人格まで存在するのだから。

 

幼少期から周囲の様子を伺い、表情をつくろい、本音を閉じ込めてきた。泣き叫びたいときも、怒鳴り散らしたいときもグッと堪えた。その結果は良いものとは言えない。「弱音を吐いておけばよかったな」と反省はしている。

 

グチばかり言う人は嫌われる。だが、まったく口にしないのは心身に悪すぎる。負の感情は毒素のようなものだ。たまり続ければ心だけでなく体も壊す。毒をためない為には毒抜き、つまり吐き出す必要がある。「うちでは対応できません」と心療内科に大病院を勧められる。そんな重度の精神障害を抱える前に、心のモヤモヤを打ち明ける相手を見つけたい。

 

ちなみに、相手は誰でもいい。家族、友人じゃなくてカウンセラーや医師でもいい。話すのが苦手ならインターネットでもいい。他人が怖いなら日記だっていい。大事なのは、自身の内にため込まないことだけだ。

 

人はきれいなだけでは生きていけない。

 

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