歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】『なにもない日』はステキな日

『なにもない日』はステキな日

 

2019年8月1日 自宅

 

平和だ。びっくりするほど、平和だ。用事もなく、体調も悪くない。特にトラブルもなく、1日が過ぎそうだ。特に『なにもない日』と感じる日こそ、最も素晴らしい日だとつくづく思った。

 

「面白いことがない」

「特別なことが起こらない」

「喜ぶことがない」

 

『なにもない日』を疎ましく感じる。そういう人たちは両極端なのだと思う。とてもいい環境にいるか、とても悪い環境にいるかだ。『なにもない日』に感謝ができない人は絶望に陥ったことがない人か、心が壊れている人だ。

 

『朝、目を覚まし食事をいただく』

 

私にとっては、幸せを味わえる体験だ。それは意識が幾日も飛んだり満足に食事がとれなかった記憶があるからだ。そして、感情が動く心を取り戻したからだ。例え満足に得られない苦しい経験があっても、心が凍りついていれば何も感じない。経験と喜怒哀楽をもった心、両方が揃うからこそ感謝ができる。

 

人というのは、残念な性質を持っている。持たざるものか失うまで、物事の本当の価値が分からないという特徴だ。健康の素晴らしさは物心がついた頃から理解はしていたが、1日3回の食事がどれほど貴重なものかは貧困を経験するまで気づくことすらなかった。

 

感情が揺れ動かなくなると、すべてが他人事になる。常に冷静かつ客観的でいられるので修羅場中はメリットはある。しかし、生きる気力がまったく無くなる。自分を含め、あらゆることがどうでも良くなる。身体に傷を負っても、理不尽な目にあっても、睡眠不足でずっと空腹状態でも膜に覆われたように薄っすらとしか感じない。私は物語が好きだったおかげで、その世界が心の避難所となり、多重人格と記憶障害になることでギリギリこの世に踏みとどまった。また、物語がきっかけで凍った感情が溶けた。もし好きなものがなかったら、薄っすらと感じていた感情すら無くなり衰弱死していただろう。感情をなくしたまま生きられるほど、人は強くはない。

 

『なにもない日』と感じる時は、心のワクワクがない日かもしれない。時間が早く過ぎ去る感覚もなく、退屈に感じるのかもしれない。しかし、体の痛みに苦しむことも、心の悲鳴におかしくなることもない。自らが替えのきく歯車ですらなく、この世に存在する価値どころか邪魔にしかならない存在だと感じてしまうこともない。「つまらない」と思える日、それこそが実は変えようもないステキな日なのだ。ただ、その貴重さに気づいていないだけで。

 

真実の意味で「なにもない日」はありえない。

ロード~第二章

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  • アーティスト:THE虎舞竜
  • 出版社/メーカー: TOKUMA JAPAN COMMUNICATIONS
  • 発売日: 2013/08/09
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

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