テキストを耕す
2019年10月6日 会議室
今日は勉強の勉強会に参加した。「どうすれば、試験に合格ができるか?」という会だ。この会、実に面白い。
「テキストは読まなくていい」
「視聴を指示された動画は観なくてもいい」
「何はなくても過去問」
試験の関係者の前で生徒が言い放つ。口を挟まず苦笑い、そんな関係者の心の広さに感動した。そして、本音を丸出しにしてくれた生徒の皆さんもありがとう。すべてを書き留めた。
テキストがない試験は少ない。多くの人が受ける資格試験だとテキストが何種類も発売されている。英語系の試験は何冊発売されたか、数える気にならないほどある。だが、使いこなせている人はごく僅かだ。
テキストはすべて読む必要はない。深く学びたいなら最低3回は読み返したい。だが、試験合格の為なら完読しなくていい。どうせ、試験には出題されない。今回の勉強の勉強会で確信した。
「過去問はまず最初に開くもの」
「テキストで学んだ後に理解できないとへこむ」
「逆なら、わからない所が理解できるに変わっていく」
「それが自信になる」
なるほど、その発想はなかった。いつもテキストを読み終わった後に、過去問を解いていた。そして、答えを間違えて落ち込むのがセットだった。落ち込んだ自分の心を引っ張り上げて、再びテキストと過去問に向かっていた。
過去問が先なら、自分の背中を押す手間が省ける。おまけに過去問を先にしていれば、試験に出やすい場所がテキストを開く前にわかる。なんで、今まで気づかなかったんだ。
今日の勉強会に参加してよかった。正直、朝しんどくて「欠席しようか」と誘惑が耳元でささやいた。それを心の鳥かごに封じ込めて、電車を乗り継いでまで来てよかった。
『テキストを耕す』
この言葉が勉強会の締めだった。
テキストを読む理由は、人それぞれ違う。試験に合格したい人、深く学びたい人、学びなおしたい人、辞書代わりの人もいる。それぞれに適した使い方をする。これが大事だと教えられた。勉強の勉強会を開催してくれた方々に感謝だ。
さて、家に帰ったら過去問をダウンロードしよう。ネットの速度に不安を感じながら、家路についた。
だめなテキストはない。
だめな使い方があるだけだ。
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