最悪を計算する
2019年10月8日 自宅
今日もいつもの体調不良
身体が痛くなっちゃうよ。
やりたいことはいくらもあるのに
身体がちっとも動かない。
思わずアニメ『キテレツ大百科』の『すいみん不足』の替え歌を作ってしまうほど、今日も朝から体調が悪い。慣れてはいるが、うれしくはない。こういう日は「これだけはやる」という行動だけする。あとは寝るだけだ。元気になったらやることリストでも考えよう、夢の中で。
「今まで大丈夫だった」
「今回も大丈夫だ」
残念、それは歴史が否定している。人生は予想外の連続だ。おまけにトラブルは波のようにザブーンザブーンと連続で来る。トラブルがない時に準備ができない人は手痛い打撃を受ける。致命傷になることもある。
「ネガティブ思考はだめだ」
「ポジティブ思考でいこう」
「ポジティブ思考だけじゃ危なくない?」
最近、やっと流れが変わってきた。『ポジティブ思考もネガティブ思考も必要だ』という意見が増えてきた。私も同意する。ポジティブ思考だけは、攻撃には強いが防御が弱すぎる。成功が一瞬で崩れたり、夢の目前でガケに突き落とされるのはポジティブ思考のみタイプだ。夢の山の頂点に立つ人は、登山家のように最悪への準備をしている。
「トラブルが来た時に考えればいい」
トラブルが単発で来るなら、それでもいい。しかし、現実はこちらを試すようにめった打ちしてくる。最初のトラブルの対象中に、もっと大きな2番目のトラブルが襲ってくる。前もって準備をしておかなければ、とてもトラブルをさばききれない。
私は最悪を計算するのが癖になっている。なぜならば、4歳から19歳までトラブルの嵐だったからだ。あの当時、食べるものに困る状況でネガティブ思考をしなかったら命の危機だった。
「明日もご飯が食べられるはず」
「今ある食事はすべて頂こう」
「お腹いっぱいで幸せだな」
こんな風にポジティブ思考だけだったら飢え死にしている。最大限に食べ続けられる計算する。そして、計算した量を食べる。お腹いっぱい食べたい自分は、水を飲んでごまかす。「いつ食べられるかわからない」、というネガティブ思考が生んだ結論だ。この結論を選び続けた結果、私は生きている。
この最悪を計算する癖は今でも役に立っている。私は体調が崩れやすいので、予定が立てにくい。だからといって、予定なしでは生活ができない。ここで最悪の計算が活きてくる。
「体調はどこまで悪化するか?」
「何日間、寝込むハメになるか?」
「予定をキャンセルした場合の悪影響は?」
最悪の状況とその対処法を考えつくす。最悪パターンのシミュレーションを終え、対処できると確信できてから予定を決める。けれども、この対処法が使われることはめったにない。だいたいは最良と最悪の間ぐらいに収まる。
「使わないなら意味がない」
「無駄な行為だ」
その通りだ。別に普段は考えなくても困らない。無駄で、無用なものだ。メリットと言えば安心感ぐらいだ。『最悪の状況にも備えている』という安心感は、新しいことを始めるときほど力になる。
ほとんど使われることのない対処法、
けれども結末を分けるのは
その極わずかな確率だ。
ここぞ、というときに限ってトラブルはやってくる。「よりにもよって」「うまくいっているときに」「重ねてくることないだろ」、とても嫌なタイミングでトラブルは訪れる。心に余裕があり、体調も良く、時間がある時には来ない。ここで最悪の計算が光を浴びる。
倉庫のスミに仕舞いこまれた保存食のように、「念のために備えておいて良かった」と思う瞬間が訪れる。普段は場所をとるだけの邪魔者に過ぎない。だが、トラブル時は何よりも代えがたい貴重な存在になる。
人は想定外に弱い。予想外の出来事が起こると頭が真っ白になる。普段なら起こさない失敗をするほど混乱する。最悪の計算をしていれば想定内に収まる。あらかじめ考えていたことなら、多少は慌ててもパニックにはならない。心の準備も先にするもので、後にするものではない。
壊れてから嘆いても、元には戻せない。
そして、大切なものほど壊れやすい。
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