死の恐怖がわからない
2019年11月4日 病院
いつもの診察の待ち時間中に、ある人と話をした。その人はガンを告知されて間もなかった。顔は笑みを保っていたが、瞳に脅えがみえた。だから、自分の話をした。2桁以上生死の境をさまよったこと、今も治らない病気で苦しんでいること、父も含めガンを患った後も10年以上も元気に過ごす人たちがいることを。段々と瞳に光が戻っていた。別れ際、うるんだ瞳で深々と頭を下げられた。少しは心が和らいだらしい。よかった、けれども……。
申し訳ない。
私には、死を恐れる気持ちがわからない。
幼少期から、お葬式がとにかく多かった。七五三などの日付の決まったイベントは、すべてお葬式でつぶれた。9歳ぐらいまでは、お葬式に行かない年はなかった。可愛がってくれた叔父と祖父、そして母の死に顔しかはっきりと覚えていない。だが、おそらく私は少なくても30以上は死に顔を見ている。死は、私にとって身近なものだ。
自分自身も例外ではない。三途の川を見たことはないが、母や叔父の笑顔は見たことがある。感覚が途切れたり、息ができなかったり、高熱で記憶が飛んだ経験は数えきれない。
あまりに死が近すぎて、もはや隣人だ。
死が迎えに来ても、ただ受け入れるだろう。
抗う気は1ミリも起きない。
こんな風に思うのは、死が身近だったのだけが理由ではない。幼稚園の時にみた本人の意思を無視した延命で血反吐をはいていた叔父の記憶、「早く死にたい」と泣き叫んでいた母の記憶が、死を恐れる気持ちを薄れさせている。
二人が死を望んだ気持ちが、理解できてしまうのだ。
生まれてこの方、常に体のどこかが苦しい。過去のトラウマで悪夢にうなされるときもある。周囲の助けを有り難く感じていても、『迷惑をかけて申し訳ない』という罪悪感はぬぐえない。生きている限り、体と心の苦痛がつきまとう。
死は、苦悩からの解放だ。
拷問のようにジワジワと殺されるのは断固拒否だが、「痛みもなく、命が終わりますよ」と誘われたら、高校時代の私なら迷わずうなづいた。「死後、あなたの臓器は移植に使われます」なんて言われたら、「サクッとお願いします」と催促すらしただろう。
死の誘惑に抗いながらも生きる。これが、私の宿命なのだろう。今はやりたいことがあるので、アグレッシブに死ぬ気はないが。
そんな気持ちでいるせいか、死に近い人がなんとなくわかってしまう。死に呼ばれているというのか、なんとなく気が引かれる相手に出会うことがある。そういうときは、「待ち時間が長いですね」「寒いですね」など、軽く声をかける。だいたい15分も話すと打ち明けられる。借金苦だったり、いじめだったり、子育てだったり、内容は様々だ。打ち明け話を聞いた後、それぞれに合った体験談を話す。トラブル連打の人生のおかげで、どのパターンにも対応ができてしまう。半数の人が泣き出す。そのせいか、背中ポンポンがうまくなった。毎回同じなのは、笑顔で別れることぐらいだ。ほとんどの人は一期一会、後に出会うことはない。元気でいてくれていれば、とたまに神社で祈る。
死に近い生き物が、死を遠ざけている。
世の中とは不思議なものだ。
死と生の境は、うす紙1枚分の隔たりすらない。
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