明るくちゃダメなのか?
2019年11月10日 自宅
「どうせ、誰も信じていない」
安心してくれ、覚悟の上だ。
健康、私の辞書にはない言葉だ。1週間単位でみても、生まれてこのかた高熱を出さなかった時が一度もない。週のどこかで、寝込む。それが、私の当たり前だ。
だが、私が不健康だと見抜ける人はまずいない。明るい、元気、パワーがある。生を受けてから38年間、医師も含めて仮病を疑われ続けたのも無理はない。先日、友人に言われた。
「なんで、あんたはヘラヘラしているんだ」
「元気そうにしていたら、病人だと感じられない」
「周りはあんたに話を合わせいるだけで、難病だなんて信じちゃいない」
「もっと、しんどそうにしてろ」
心配してくれて、ありがとう。
だが、断る。
父に言われた。
「お前は我慢強すぎる」
「だから、周りにしんどいと伝わらない」
「もっと早く弱音を吐け」
過去を思い出すと『あなたが鈍感なだけだろう』とツッコミたくなるが、心配する気持ちはありがたく受け取ろう。だが、言動を変えるのはノーだ。
暗くしてたら、しんどいねん。
ネガティブになるネタは星の数ほどある。落ちこもうと思ったら、一秒もかからない。過去の人間失格な方々とのエピソードを振り返るだけで、押入れの中に閉じこもりたい気分になれる。人間恐怖症こんにちは、だ。いっそ絶え間なく続く、身体の痛みやしんどさに感覚を集中するだけでも曇り空な気分になれる。
1分、1秒が長くツライ時間に早変わりだ。
なぜ、そんな拷問を自ら選ぶ必要があるのか?
だいたい、私は負けず嫌いだ。幼少期はお化けが怖いと泣くような子供だったが、その時でも将棋などのゲームに負けると、勝つまで挑戦するような生き物だった。泣き虫は治ったが、負けず嫌いが完治する可能性はみじんもない。弱り切った顔で『しんどい』とか、『ツライ』というのは性に合わない。「いや~、寝起きは身体がバッキバッキ、おかげで二度寝は防げてます」と笑い飛ばす方が合っている。
なぜ、病人は明るくちゃダメなのか?
そこから、理解できない。
なぜ、明るい人はしんどくないと判断されるのか?
こちらも、理解できない。
どんな健康な人だって、体調が悪い時はある。身体は元気でも、心が壊れそうな時もある。世の中には弱音を吐きづらく、強がってしまうタイプはゴロゴロいる。声や表情が明るいことは、ツラくない証明にはならない。
私はどれだけ理不尽な目にあっても、不運を笑い飛ばす姿勢を変えるつもりはない。バカにされるのも、喜んで受け入れよう。なぜならば、涙ながらに言われるのだ。
「あなたを見ていると元気をもらえる」
自分と同じように、難病を抱えた人や息苦しい子供時代を過ごした人、今も苦しんでいる人がホッとした顔で涙ぐむのだ。私がヘラヘラしているだけで、生きる気力が沸くと言ってくれる。笑われて本望である。
周りが暗い時に明るくしていると『不謹慎だ』とか、『空気を読め』とか言われやすい。幸いなことに、私はその点では責められない。過去も、現在も、おそらく未来も安定なんて欠片もない人生だからだ。たとえ非難されてもAKY、『あえて、くうきを、よまない』で対処する。どうせ何をしても、非難からは逃れられない。自分のやりたいように、やるだけだ。
どん底に落ちたとき、選択肢は2つしかない。
絶望の沼に沈むか、笑い飛ばすかだ。
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