お礼を言うのはコチラだ
2020年4月2日 自宅
目の前がかすんだ。
ある言葉が目に入ったあとに。
服に丸い点ができて、やっと気づいた。
私は泣いていた。
通知が止まらない。
昨日、ある文章をインターネット上にぶん投げた。内容は、新型コロナウイルスの流行で起こるトラブルの対処法だ。貧困、病気による差別、役所との対応、死との向き合い方など、自分が味わった体験から選りすぐった対策を書いた。投稿してから1日が過ぎているのに、通知が止まらない。もうひとつ、驚いている。
批判がほとんどない。
「日本で食料不足なんて起こるはずがない」
「1ヶ月も食べないと死んじゃう」
「感情を煽る危険性をわかっているのか?」
予想していたような頭ごなしの批判じゃなかった。
むしろ、待ってましたな批判だった。
文章が長くなり過ぎるので省いた、補足説明を書ける批判である。水不足やバッタ被害などで日本も世界も農産物の安定供給ゆらいでいるとか、1ヶ月食べなくても死なないけど体への負担がでかいから避けてほしいとか、安心感を届けるのが一番の目的だったとか、いろいろと追加情報を書きこめた。批判のコメントをくれて、ありがとう。
唯一、残念だったのは、あまり議論にならなかったことだ。一部を除き、返信1回で相手が去ってしまった。さらに批判してくれれば、もっと追加情報を書けたのに。相手がツッコめるスキを残した回答にすべきだった。反省である。
批判コメントは全体の10%もなかった。
そのほとんどは、感謝と前向きなコメントだった。
「具体的な対策を書いてくれてありがとう」
「壮絶な話を打ち明けてくれた勇気に感謝を」
「自分も何かできることがないか探します」
「あなたは素晴らしい人です」
「家族との時間を大切にします」
「感染症対策をしっかりとします」
光栄というか、恐縮なコメントが絶え間なく届いた。この展開はまったく予想していなかった。批判が続々と届く覚悟は決めていたが、ほめ言葉にのたうち回る覚悟は決めていなかった。
皆さん、誤解です。
そんな善人ではありません。
短気な面倒くさがりで、
体力へっぽこな文章・ゲームオタクです。
よっぽど書きこもうかと思った。だが、相手の感動に水を差すわけにもいかない。照れくささに赤面しても、机に突っ伏すことで耐えた。
過分な評価にに身悶えしながら、頂いたコメントに返事をする。その中、ある言葉が目に入って硬直してしまった。気を取り直して、再びコメント返しを続ける。また、ある言葉が目に入った。ついに、手が止まった。目の前がにじんで、頬が濡れた感触がした。
「生き抜いてくれて、ありがとう」
なぜ、この言葉で涙が流れたのか。
すぐには理解できなかった。
震える身体を抑え、目をつぶって考えた。
何の飾りもない素朴な言葉だ。
一息に言い切れる言葉の、何が私の心を揺らしたのだろうか。
あぁ、そうか。
逆の言葉だったからだ。
「お前なんか、産まなきゃよかった」
「そこの窓から飛び降りればいいのに」
「しーね、しーね、しーね」
母に生を憎まれ、同級生に死を望まれ、サッサと死ねばいいのにという目を多くの人に何度も向けられた。そんな私が、生きていることに感謝された。生を祝福する言葉をもらったのがはじめてだったからだ。
同時に気づいた。
死を望まれた心の傷は癒えていなかった。
克服したつもりだった。
母のセリフがお酒の勢いで、本音のすべてじゃないと知っていた。同級生の発言が、面白半分で本気じゃないと気づいていた。ぶつけどころのない負の感情をぶつける対象が、たまたま私だったとわかっていた。
そんな昔の出来事は、今の自分には何も関係ないと思っていた。
「生き抜いてくれて、ありがとう」
この言葉で、生きている自分を許せる気になった。
高校時代の私は、まだまだ現役だったようだ。殺されることを望んで、街灯すらない夜道を歩いた。最も私の生を憎み、死を望んだのは他人じゃない。母の代わりに死ねば良かったと、病弱で迷惑をかける存在でしかないと思っていたのも、私だ。私が一番、自分自身の死を願っていた。
私の中の知らない自分が、命を奪おうとするわけだ。
主人格が死を望んでいるのだから。
だからこそ、思わず泣いてしまうほど嬉しかった。
「生き抜いてくれて、ありがとう」
こちらこそ、
私の心を軽くしてくれて
ありがとう。
生を祝う言葉を頂いたわけだ。これで、私もしばらくは死ねなくなった。少なくとも、新型コロナウイルスの騒ぎが収まるまでは死ねない。それまでに死んでしまったら、私の生を喜んでくれた人たちがショックを受けてしまう。感染症対策に全力を尽くそう。あらためて、気合いが入った。
生き抜く力になればと文章を書いたのに。
こちらが、生きる力をいただいた。
人生は予想外にあふれている。
同じ文章を読んでも、
感想は様々だ。
その感想に、
受け手の本質が現れる。
優しい文章だと思う人は、
その人が優しいのだ。
温かい文章だと思う人は、
その人が温かいのだ。
文章は書き手の分身だ。
同時に、受け手の鏡でもある。
ただ、
ほとんどの人が
醜いと思う文章は別枠である。
自己紹介でもある記事
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