歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】批判されても、やりますか?

批判されても、やりますか? 

 

2020年4月1日 自宅

 

ポチっとな。

迷いはなかった。

 

 

朝方の3時に目が覚めた。いつものように、咳の発作や心身の痛みなどが原因じゃない。ただ何となく、眠気が消え去った。

 

なんかしたいな。

 

ふと、思いついて目が覚めた。

 

新型コロナウイルスの感染が流行した。その後、少しでも被害を抑えようと多くの人が動いている。私も、何かしたくなった。だが、何ができるだろうか。

 

大富豪のようなお金はない。

有名人のような影響力はない。

献血する体力すらない。

 

ないない尽くしの私に、何かできることがあるのだろうか。

少し考えて、ひとつだけ思いついた。

 

人生トラブルの乗りこえ方

 

現在、日本中で新型コロナウイルスがらみの人生トラブルが大発生している。これから先に起こりそうなことも含めて、個人レベルでは似たトラブルをほぼ経験済みである。経営とか、政治とか、大きな範囲はわからない。だが、個人の範囲なら対処法はいくつか思いつく。

 

これまでの人生で学んだことを文章にしよう。

 

方針は決まった。

PCのボタンを押したのち、洗顔のため洗面台に向かった。

 

 

数時間で、文章は書きあがった。

あとは、投稿ボタンを押すだけである。 

 

目に入った日時を見て、笑いがこらえきれなかった。

 

4月1日の午前中

 

エイプリルフールのど真ん中だ。

 

「ウソだらけの話を書くな」

「不安を煽るな」

「そんな人だったなんて」

 

批判されるとしても、投稿するのか?

 

まるで、覚悟を問いかけるようなタイミングだ。

 

新型コロナウイルスへの対応は意見がわかれている。そのタイミングで、最悪のパターンへの対処法を書き殴った文章を投稿する。実体験込みで書いたので、表現には気をつけたが壮絶さはぬぐえない。そして、これまで誰にも話さなかったことについても触れている。これまで応援してくれた人が、そっぽ向く可能性もある。炎上する可能性もゼロではない。書き上げた文章を消してしまえば、今まで通りが続く。

 

私はサクッと投稿ボタンを押した。

 

人生よ、なめるな。

こちとら、批判には幼少期から慣れっこだ。

 

ウソつき? 

死にかけを仮病扱いされて冷めたわ。

 

死ね? どこか行け? 

周りを囲まれ、死ねコールされて聞き飽きたわ。

 

人が離れる?

私の知ったことじゃない。

 

殴られて、腕や足があざでまだら模様だった日々に比べれば、蚊に刺されたようなものだ。流血もしなければ、変なモノを入れられて腹痛で倒れることもない。どうせ何もしなくても、批判したい人は湧いてでる。好きなように言えばいい。数々の修羅場の暴露で離れていくなら、それでいい。ご縁がなかっただけだ。共にいるも、離れるも、相手が決めることだ。私が決めることじゃない。

 

私にとっては、何もしなかったと後悔する方が嫌だ.。だいたい、いつ死ぬか医者でもわからぬ身体持ちに批判される覚悟なんぞいらん。あの世まで、批判は追ってこないのだから。

 

10分ほどで、ブログ・Twitter・Facebook・noteに投稿を済ませた。ネット上だけでなく、対面でお会いする人たちもこの中には含まれている。友人・知人からすれば、親しい人からの衝撃告白が予告なしで襲いかかることになる。そこだけは申し訳なさを感じる。

 

それにしても、不思議なものだ。

 

感染症にかかったり、バイキン扱いされたり、親の死に目に会えなかったり、私の人生は平穏という文字が消え失せている。なんで自分ばっかり、と思ったこともある。その苦悩した経験が役に立つとは。

 

人生とは、わからないものである。

 

 

批判は、覚悟を試す装置である。

 

 

 自己紹介でもある記事(4月1日に投稿した文章)

www.ayube.jp

 

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