トラブルが多い? それがどうした
2020年11月1日 自宅
嘆くには。
これでは足りない。
なんなんだ、今日は。
体が熱い、頭が痛い、関節が痛い、咳が出る、胃が気持ち悪い。半日ぐらい、ふとんの中で青虫のようにウゴウゴもだえて起き上がれたのに。PCがまともに動かない。やっと直ったと思ったら、今度はブラウザがエラーの嵐だと。
ふざけんな。
ブログ更新の予告時間まで1時間を切ってるんですけど。
それでも、パニックにはならないが。
体調不良なんぞ、どうせ毎日のことだ。1日我慢は厳しくても、1時間程度なら余裕だ。メインPCに不都合があるなら、サブPCを使えばいい。この程度で打ちひしがれるメンタルなら、私の人生は幼稚園で終わっていた。夢でみた過去を誰かに説明するたびに悪夢に認定される。そんな過去だらけの人生を歩んだ生き物にとって、これぐらいは障害どころか心にダメージすら受けない。自分の準備の悪さにイラッとするぐらいだ。
私は成人までに、心身に大きな傷を受けた。
その後遺症は消えることなく、日々の生活に足かせをはめている。
『若い時の苦労は買ってもせよ』
こういう言葉がある。否定はしないが、同意はできない。若いうちは体力があり、思考も柔軟だ。同じトラブルを経験するならば、若いうちの方が乗り越えやすい。ただ親が刃物を振り回すとか、ふと気づいたら自殺未遂をしているとか、たまに心中に誘われるだとか。内臓や血管が未成熟になるほどの飢餓生活だとか、生理がおそらく3年は止まったほどの気の抜けない生活だとかは経験しなくていい。どんな苦労もすればいいってもんじゃない。世の中には味わう必要のない苦労がある。
「命の危機?」
「何回目かなんて、多すぎて数えていませんよ」
こういう人生は心身に優しくないが大きなメリットがひとつある。どんな時も、冷静さが失われないことだ。ほとんどのトラブルが『過去のアレに比べればマシ』という感想になる。三途の川の常連だと、低温やけどで足を切り落とす瀬戸際だったとか、記憶が何年も欠けているとか、原因不明の症状が治らない病気だと確定したとか。人によっては自殺するほどの出来事でもショックを受けない。あまりにも平然と受け入れているので、告知をした医師の方が混乱していた。励まそうとした医師の呆然とした顔には申し訳なさを感じた。
前半の修羅場が濃すぎる。
その分、人生の後半がとっても気楽だ。
どう考えても、19歳までの修羅場を超えるトラブルが起こる可能性は低い。人生のイベントが精神に与えるダメージについて書かれた本を読んだことがある。80歳までに経験する負の感情を抱くイベントの80%は15歳までに経験済みだった。現時点では90%に迫っている。自分の人生の特異さに笑うしかなかった。
トラブルに動じない。
だから、冷たい人って言われちゃうんだろうな。
血を吐くような想いをして身に着けた能力なので、
捨てる気はまったくないが。
トラブル対応も慣れである。
苦労を重ねる最大の利点は
トラブル対応力が上がることだ。
どれほど知識を詰め込んでも、
心の強さだけは経験でしか鍛えることはできない。
自己紹介でもある記事
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