合わない場所は体力を削る
2020年10月14日 自宅
得意なこと
それだけで、いいの?
出歩くのにも気をつかう昨今、人が多いとこ大好きな方たちの嘆きが止まらない。人は集団をつくることで生き残った生物だ。そのため、多数の人物と交流する能力がある人は評価が高くなりやすい。それが、インターネットの普及で絶対では無くなり、感染症の流行で対面の交渉術だけが強い人が窮地に陥っている。時代の流れは、これまでのスキル評価すら一変させる。怖いものだ。
幸いなことに、私は引きこもりのマイペース型だ。子供の頃に好きだった遊びが、レゴにパズルにお話作り、おもちゃの分解に読書と一人で完結するものが中心だった。この性質は今でも変わらない。ブログ記事の更新が苦にならないのも、すべての作業が一人で出来るからだ。細かく指示されると作業効率が下がるタイプなので、誰かと共同作業だったらブログは半年ほどで閉鎖していただろう。一人での作業が最もパフォーマンスが高い。根っからのボッチ気質だ。
別に、共同作業ができないわけじゃない。むしろ、集団に溶け込むのは得意だ。幼少期に大人を相手に修羅場を戦ったスキルは伊達じゃない。表情を作ることも、相手の心を動かすトークも、情報収集や逃げるために幽霊のように気配を消せる。たとえ体温が40℃あったとしても、誰にも気づかれずに健康な人のふりをしてパーティーに3時間滞在するぐらいは余裕だ。おまけに、学校でいじめられ親戚にいびられた経験もあるので、嫉妬や妬み恨みのかわし方も知っている。集団の一員として動く時に必要なスキルに困ることはない。そのせいか、集団に混じるのが好きだと勘違いされることもままある。
誤解だ。
集団行動は苦手なんだ。
実は、話すのだって苦手なんだ。
一人の時間がないとすぐにストレスがたまるほど、集団は大の苦手である。取り繕うのが下手だった子供の頃は、自由行動が開始されると声をかけられる前に物陰に足早に去るほど一人で動くのが好きだった。生き抜くのに必要だったから、対人能力が磨かれただけである。その能力をみて、他者は得意だと判断しているのだろう。
だが、私の本質は一人上手だ。集団で過ごすスキルが上がっても、生まれ持った性質は変わらない。得意なのかもしれないが体力の消耗が激しい。ブログ記事の1本更新の体力消費が1とするならば、パーティで3時間過ごす体力消費は100だ。修羅場当時の癖で、人に対する警戒心が強いのもマイナス点だ。どう思われるのかと相手の評価を気にするのではない。こちらを害する意思はないか、何かあった時に使えるネタはないか、無意識が自己防衛の情報収集を始めてしまうのだ。その場に存在する全員に対して。なので、参加人数が多いほど疲れる。この警戒装置を切る方法を長年試しているのだが、未だ解決方法は見つからない。
生まれ持った性質
修羅場経験で磨かれたスキル
このふたつにより、集団で過ごす時間が長いとストレスと疲労が溜まりやすくなる自覚している。なので、職場を選ぶ時も新しいスキルを学ぶ時も一人の時間が長くなるような場所を選んできた。そのため、倒れるまでは接客業と営業に勤めていた。どちらも一人で物事を判断する場面が多い。しかも、お客様がメインなので自身が注目をあびることもない。修羅場で鍛えられたスキルを最大限に活かせる。得意分野は活用したいが、生まれ持った性質に合わせることが前提だ。ただでさえ体力が平均未満なのだ。無駄に疲れたくなかった。
常に自分が過ごす環境を選べるわけじゃない。子供の頃なんて、生まれた環境で多くが自動的に決まってしまう。大人になっても、様々な事情で全てが自分の思うようにはならない。それでも、自分の性質に背を向け続ければどこかで破綻する。身体が壊れるのが先か、心が壊れるのが先か、壊れなくても命の終わりに後悔を抱えたりする。
現状を受け入れながらも、最大限に自分が過ごしやす環境を選ぶ。得意不得意とか、周りの評価で場所を選ぶと確実にストレスと疲労が蓄積する。特に職場など、人生の長時間を過ごす場所は要注意だ。この選択を間違えた結果、寿命を削ることだってある。
寝たきりになるほど体を壊した。ほとんど外出できない体になってしまったが、働いていた当時よりも心が穏やかだ。集団生活が最小限になり、自分の気質に合った一人の時間が増えたためなのだろう。たまに多くの人と話すのは楽しいが、基本は一人で過ごすのが好きなのだ。
自分に合った場所で過ごすのがいい。
いかに快適過ごせるかに死力を尽くせ!
病気と修羅場が教えてくれた知恵だ。
兎は、海では溺れる。
亀は、山では干からびる。
過ごしやすい場所を選ぶのが
長生きするコツである。
自己紹介でもある記事
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