第44回 +-
2019年3月3日 自宅
眠い目をこすりながら、時間がすぎるの待つ。だめだ、このままでは意識が飛んでしまう。しかし、スマホを取り出す訳にはいかない。それでは電子図書を読み出して、徹夜コースにまっしぐらである。
あと1時間、我慢をすればいい
こういう時間が一番困る。元々”なにもない時間”が苦手なのだ。ぼーっとしている、ということが出来ない性分なのだ。目が覚めている限り、なにかを考えていないと落ち着かない。
以前、友人に「あなたは帰ってすぐに動くから、倒れるんじゃない。少しはゆっくりしたら」と言われたこととがある。忠告に従い、試してみたが無駄だった。座っていたはずが、気づいたらゴミを片付けていたり、本を読んだりしている。私にとって”なにもしない”は拷問に等しい。
なぜかは、わかっている。痛みやしんどさから、逃げるためだ。読書でも、ゲームでも、掃除でも、何かに集中していると、主な意識が体の感覚からそれる。逆に何もしないと、身体の苦痛を延々と感じなければいけない。だから小さい時から、私は意識に空白を作らない癖がついている。
絵本すら読めないほど体調がおかしい時は、空想の世界に意識を逃した。違い世界を想像することで、現実の世界から意識を遠ざけた。私の精神障害が多重人格や記憶障害なのも、これが原因なのかもしれない。
体力の温存、という意味でもマイナス効果である。思考は、エネルギーを大きく消耗する。本も読めないほどヘロヘロなのに、思考でさらに体力を使う行為は無謀でしかない。
だが集中力や想像力を鍛える、という点ではプラスだった。意識が朦朧としても、身体が痛みで動けなくても、考え続ける力は脳を強く鍛えてくれた。
どんな出来事にも、マイナスだけの結果はない。むしろマイナスが多ければ多いほど、得られるプラスも多い。鋼の錬金術師の等価交換みたいなものである。
とりとめもないことを考えていたら、食後3時間になっていた。考え事に集中すると時間を忘れてしまう。いつもは困り物の癖だが、今回はむしろ助かった。考えすぎて熱が出たが、よくあることなので問題はない。
さぁ、薬を飲んで寝よう
今日も学ぶことの多い一日だった
健やかな気分で眠りについた。
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