セルフ拷問はやめる
2020年2月22日 自宅
私は寝こんでいる。
先日30分、予定より長く外出しただけなのに。
身体がろくに動かない。
「だから、早く帰って来いと」
返す言葉もございません。
だが、パートナーよ。
声を抑えめで頼む、熱でうだった頭に響く。
文句を言いながらも、看病をしてくれるパートナーには感謝だ。今日は一日、大人しくしているしかないようだ。ふと、懐かしい声を想い出した。
「それはセルフ拷問だよ」
「へ?」
「うえっち、帰宅した時、休むって言ったよね」
「うん」
「なんで、片付けしているの?」
「あっ……つい、身体が勝手に動いて」
「や、す、も、う、ね」
「はい」
親友の家に居候(いそうろう)をしていた時代からの声だ。その生活で、親友に何度も同じ指摘をされた。半年間で、何回ツッコミを入れられたか覚えていない。それでも、この休まない癖は直せなかった。
休息をとる癖が身についたのは、寝たきりを経験したからだ。冷や汗や高熱、せきがでるので休むしかなかった。それでも、休むのは下手なようだ。本日のように熱を出し、パートナーに説教を受ける。
だって、仕方がないじゃないか。
基準がよくわからないのだ。
関節が痛い。
カラダが重い。
かゆい。
生まれてこのかた身体に異常がない時がないので、どのタイミングで休めばいいかがわからない。我慢しなければいい? 辛抱しないと、ベッドから起き上がることすら出来ない。苦痛が少ないを最優先にしたら1日中ベッドで寝ているか、鎮痛剤を延々と飲み続けるハメになる。そんなストレスがたまり、体力が落ちる生活は嫌である。やっと自由に動けるようになったのに、寝たきり生活に戻りたくない。
そして、集中力がさらに休むタイミングをわからなくする。私は文章がからむとスポーツでいうゾーンによく入る。この状態は身体の感覚が消え失せる。文章を読む視覚や言葉を打ち込むキーボードの感触など、必要なもの以外は。書店で10時間以上も連続で立ち読みできたのも、このゾーン状態のおかげである。お腹すいたとか、トイレに行きたいとか、生理現象すら感じない。睡眠や多重人格に意識を乗っ取られるなど自意識がないパターン以外で唯一、身体のしんどさを感じない時間だ。
タイマーが、ピピピと鳴っても気づかない。
朝が過ぎ、昼になり、夕方になっても気づかない。
体温が40度を超えて、汗だくでも気づかない。
周りが暗くなって文字が読めないか、家族や友人に肩を揺さぶられるまでサッパリ気づかない。おかげで、学生時代は『うえたさんは耳が悪いの?』と何度も尋ねられた。アレルギーによる中耳炎ぐらいで、耳の検査に引っかかったことは一度もない。むしろ、よく聞こえていると褒められた。
今、振り返ると寝たきりになって当然である。健康な人でも悲鳴を上げる作業量を、貧弱体質が何時間もぶっ続けで行うのだ。体調を崩さない方が不思議である。親友のセルフ拷問という言葉を1ナノメートルも否定できない。私は普通の行動をしている気でも、はたからみれば無茶・無理・無謀の三点セットである。
そして、未だに改善する気配がない。
ゾーン状態になると、何もわからなくなる。
というわけで、パートナーの登場である。ある程度の時間がたつと、パートナーがいつも肩を揺さぶってくれる。
「顔が赤いぞ」
「コーヒー飲め」
「ご飯できたぞ」
見事なまでに、パートナーに頼り切っている。パートナーがいないと、日常生活がまともに過ごせない。パートナーが用事でいない日は、食事をするのをよく忘れる。食べるものはあるのに気づいたら夜中で、1日1食になったりする。帰ってきたパートナーに冷蔵庫を確認され『また、しっかりご飯を食べてなかったな』と怒られる結末を繰り返す。何とか自立したいのだが、どうにもならない。
セルフ拷問をする気はないのに、
自動でセルフ拷問に移行している。
文章の世界が面白く、身体の苦痛も忘れられる。
この誘惑に勝てない。
どうしようもない、ダメ人間である。
あるセミナーで『集中力を下げる方法はありませんか?』と尋ねたことがある。多くの悩みへの解決を出し続けた方に、『参りました。それは特殊な才能です』と言われてしまった。『そんな質問を受けたのは、はじめてです』とも言われた。その質問の20分後、立ち読み連続12時間の方に話しかけられた。自分よりもすごい記録の人がいる。とてもホッとした記憶がある、悩みは何ひとつ解決していなかったが。
現状、パートナーに頼る以外にセルフ拷問をやめる方法がない。
どれほど直したくても、直せないものがある。
人生とはままならないものだ。
短所は長所である。
逆に言えば、長所は短所である。
つまり、ただの個性だ。
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