『病院スクランブル』 物語の力とは?
2019年3月19日 自宅
映画『運び屋』でつくづく感じたのが、物語のすごさだ。私は、母の死に目に会えなかった。それを深く悔やんでいたことを『運び屋』を通して、気づいた。きっと家族や友人、知人に指摘されても「20年以上前のことだから」と認めなかっただろう。『運び屋』の世界に入りこみ、追体験したからこそ、素直に受け入れられた。
素晴らしいアドバイスであっても、心に余裕がなければ受け止められない。私も昔は、ひねくれていた。高校生の時に性悪説の中国古典『韓非子』を絶賛して、先輩にドン引きされたことがある。今も、半分はひねくれている。
「同じ目にあったことないくせに」
「どうせ他人事なんでしょ」
「口で言うのは簡単だよね」
反発の気持ちが強く、聴く耳を持てなかった。笑顔の裏で、イライラを抑え込んでいた。そんな私でも、物語でなら、人を信じる言葉がスッと頭に入った。対面で言われたら鼻で笑っちゃいそうなセリフも、大好きなキャラクターのセリフなら感動できた。
関係が近い人の言葉は、逆効果な場合がある。付き合いが長ければ長いほど、相手のダメな面は見える。それがアドバイスを受け入れない、自分への言い訳になってしまう。発言者が、トラブルの原因なら「お前が言うな」と腹が立つだけである。同じ言葉でも、だれが言うかの差は大きい。
その点で物語は、現実との接点がないので言い訳できない。というより、物語の世界を味わっているだけなので、言い訳する必要がない。物語がきっかけなら、気づいたのは自分である。自分で気づいたことは、抵抗なく受け入れられる。
ひねくれ中は、実用書が心に届きにくい。前を向く方法とか読んでも、心が拒絶反応を出す。そんな時は、物語がオススメである。特に古典は、人生トラブルの宝庫である。”何に苦悩し、どう乗り越えるか?”人生の苦悩が描かれていない、古典は存在しない。
父と『運び屋』を観にいってよかった。勧めてくれた映画狂のPちゃんに、感謝である。お礼と父の反応を伝えたら「さすがにダメ親父でも、イーストウッド監督のメッセージが少しは届いたか」と返ってきた。なかなか辛辣である。近日中に映画を観る約束をして、Pちゃんとのメッセージのやり取りは終わった。
本日やるべきことを終えたら、頭がずくずくする。これは危険なシグナルだ。感情を揺さぶられたことが、身体にとっても負担になったようだ。こういう時は、痛み止めでも抑えきれない。休む、一択である。
部屋を明かりを消し、眼を閉じた。
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