映画『記者たち』は、多数決の恐ろしさを教えてくれる
2019年4月14日 映画館
「あんたは真剣味が足りない。文章を書くなら観に行け」映画狂の友人に誘われて、映画『記者たち』のため映画館に向かった。3.11からイラク戦争終結後までの新聞報道を中心に描いた、ノンフィクション作品だ。
欲にかられれば事実も捻じ曲げる。
自分以外の被害はどうでもいい。
そして、責任は取らない。
報道というより、人間が集団になったときのデメリットがよく現れた作品だった。「人の命って軽いんだな」と思わずにはいられなかった。多数決はマシであって、ベストの選択ではないと突きつけられた。
多数決はよく使われる決断方法である。人はそれぞれ違う。全員の一致を待っていたら、時間がかかりすぎる。多数決は、時間短縮のために作られたやり方だ。時代の流れがのんびりなうちは全員一致が多く、現代に近づくほど多数決を利用する場が増えていった。
多数決の問題点は3つある。1つ目は賛成が多い方が正しいと思いこむこと、2つ目は全員が正確な情報と判断力がなければ選択を誤ることだ。だが最後の問題点よりは、まだかわいい。最大の問題点は、「みんなで決めたから」と誰も責任を取らないことだ。多数決を続けるうちに、個人としての責任感も低下していくのも恐ろしい点である。
イラク戦争は1社以外の報道は誤りだった。しかし、ほとんどの報道機関の情報が同じだからと、多くの人が他社の誤った情報を信じた。そして誤った情報を流した人のほとんどは「あの状況で正しい判断は無理」と責任から逃げた、報道機関の関係者すらも。
多数決は、コントロールしやすい仕組みである。「みんな同じで安心したい」「失敗したくない」「安全な場所で眺めていたい」損をしたくない心理を、弓の達人のごとく射抜いている。頭を使ってエネルギーを消費したくない、人間の本能すらもくすぐってくる。多数決の対象の情報を持ち、冷静に決断できる責任感のある人が多くないと散々な結果になる。実例は歴史の本を読まなくても、ニュース1日分で過ぎるほどある。
100人中99人が賛成でも、最悪の結果は訪れる。
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