みえている世界が違うのかな?
2020年5月10日 自宅
なんとも、言葉にしがたい。
最近、気になることが増えた。だから、海外の報道も覗くようになった。ちなみに私の英語力は中学生未満、他の言語はさっぱりだ。機械翻訳さまに助けられている。英語で書かれているものは、勉強も兼ねて1度はそのままで読むが。
つたない語学力でも、世界の知に触れられる。
まったく良い時代である。
体と同じく語学力がへっぽこな私でも、毎日あまたの言語の海を泳いでいれば気づくことがある。国によって、みえている世界が大きく違う。同じ次元に生きているのか。もしや、パラレルワールドに来てしまったのかと疑うぐらい違う。日本国内の意見の差なんぞ可愛いものだと素直に思える。
私は海外の報道を読むときは、まず現地語を選ぶ。英語は海外に向けての情報である。その国独自の情報が少なかったり、表現が甘口カレーだったりする。これは日本も同じだ。各新聞社の英語版やジャパンタイムズなどは、日本語で書かれているものに比べると表現がきつくない。報道も外交の舞台なんだと感じる。アメリカやイギリス、カナダなどの英語がよく使われている国はまた違うが。
中国、ロシアの東側と欧米や日本などの西側とは意見が逆だと聞いていた。 だが、実際に読んでみるとそこまで単純じゃない。ロシアとアメリカの意見が一致することもあれば、アメリカとフランスが報道合戦で争っていることもある。小さな違いに目を向ければ、世界の多くの国が同じ方向を向いている時もある。
もうひとつ、気づいたことがある。国際機関で発表される報道の自由度はまったく宛にならない。ランキング上位でも日本よりひどい国はゴロゴロあった。気づいたポイントはこれだ。
日本での報道と内容が同じ
報道の自由度が高い国だと、国と報道機関の意見はまず一致しない。他国に流れる情報はどうしても国の意向が入る。結果、現地語で読む情報と日本の報道で読む情報にはいくらか差がある。報道される内容に差がないということは、国の意向と報道が完全に一致しているということだ。人が完璧でない以上、人が動かす国も完璧ではない。報道の自由度が上がれば、自然と国への批判が増える。それがわずかしかない、または全くない。報道の自由度が低いとしか思えない。
海外の情報に目を通すようになって、つくづく感じる。
伝聞というのは信用しちゃいけない。
自分で確かめなきゃダメだな、と。
私は海外に行ったことがない。報道機関の情報をメインに読んでいる。なので、実際に起こっている出来事とは距離があるだろう。それでも、日本語の海しか知らなかったときよりはマシなはずだ。機械翻訳のズレに気を配りながら読むのは頭が疲れる。けれども、この習慣を続けるつもりだ。
そして、英語をなんとかしよう。
するりと読めるようになれば、かかっている時間を半分に短縮できる。
発音はぶん投げて、まずは読めるようになろう。
日本語の発音もつたないのだ。
まずは、最も使う読む力を伸ばす。
興味がわけば、やる気が起きる。
こういう点はどの国も違いはなかった。
違いがわからなければ、共通点もわからない。
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