ゼロリスクは存在するのだろうか?
2019年7月29日 自宅
「恥をかきたくない」
「損したくない」
「居場所を失いたくない」
『リスクは取りたくない』、気持ちはお察しする。私も痛い目にはあいたくない。しかし、世の中にローリスクはあってもゼロリスクはない。
現代は信用で成り立っている社会だ。蛇口をひねれば水が流れ、スイッチを入れれば電気が流れ、電子機器でインターネットに繋がる。社会の土台と言われるインフラが毎日使えると、多くの人が信じているから安定している。少なくとも日本人は信じている。災害時に暴動がまずないのも、「必ず誰かが助けてくれる」「インフラは復旧するものだ」と信頼しているからだ。
残念ながら、その信頼が常に正しい保証はない。今が大丈夫だからといって、将来も大丈夫だという保証はない。むしろ、アリもしない幻想に囚われれば破滅の穴に陥る。『正常化バイアス』は災害時だけの教訓じゃない。
例えば水道、電気、ガス、通信などのインフラは大災害が襲ってくれば、いつ止まるかも、いつ復旧するかもわからない。急に働けなくなってなど収入が途絶えれば、周りは利用できても自分は利用できない。ベネズエラやギリシャのように国がボロボロになればインフラの供給は不安定になる。
インフラのような壊れにくいものですら、リスクは存在する。そこから考えれば、個人レベルでゼロリスクは考えられない。
健康、人間関係、収入先、気づけないほど小さくても日々変化している。『最近は時代の変化が早すぎる』という人もいるが、技術のような変化が確認しやすいものの進歩が早くなっただけだ。元から、普遍のものはなく「安心だ」という幻想があっただけだ。変化の激しさなら今よりも、個人レベルでは戦争中の方が圧倒的に激しい。なぜならば、どんな人も命を奪われる可能性がある。それに比べれば、平和なだけでも変化のレベルは下る。
どんなものにもリスクは含まれている。「今の生活で困っていないから」と何も対策しないのは、あまりに危機管理がなさすぎる。リスクにおびえて暮らすのは論外だが、将来をまったく不安視しないのも同じくらい問題だ。防災対策、スキルアップの勉強、タンス貯金など最低限の備えはしておきたい。
病人も、健康な人も、頑強な人も、
明日を生きている保証はまったくない。
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