元ネタはきちんと示す
2019年9月2日 自宅
「おいおい」
私がTwitterで投稿したモノを、丸ごとコピーして投稿している人を見つけた。相手もTwitter投稿、リツイートすればいいだけなのに。ある意味、これは形を変えた称賛ではある。価値のまったくないものをコピーする人はいないからだ。日付が表示されているので、こちらがパクリだと責められても対抗ができる。スクショで保存後、ブロックした。
文章の中でデータを扱うとする。ここで忘れてはいけないルールがある。自分が集めたデータでないとき、HPのアドレスや書籍名など、どこからデータを持ってきたかを示すことだ。これがいい加減だと、最悪の場合は訴えられる。
どんな情報であれ、集めるには手間がかかる。他人が利用したいレベルの情報は簡単には集まらない。人脈、書籍、調査など時間とお金をかける。集めた情報を分析して、自分の意見を練り上げる。その結果を世の中に配信している。そこまで手間をかけた情報を他人に「自分が集めた情報だ」と言われて腹を立てない。そんな人はいない。
現代は「無料で利用していいですよ」というデータはたくさん手に入る。そのほとんどは「誰が提供したものかは表示してね」と利用規約に記されている。だか、この約束を守っていない人は多い。これも訴えられたら損害賠償だ。
私は他者のデータを利用する時、決めているルールがある。たとえ利用規約に書いてなくても提供者は必ず表示する。インターネット上のものだけでなく、書籍だろうと個人だろうと変わらない。これは3つの意味がある。
1つ目はデータ提供者への応援だ。誰が提供したものかが記されていれば宣伝になる。無料で素材を使っているのだ。これぐらいの手間はかける内に入らない。
2つ目は読んでくれた人への情報提供だ。よくあるのだが「このデータを自分も使いたい」「それなのに、どこで手に入るかがわからない」、探せたとしても時間はかかる。データの提供先が表示されていれば面倒はない。
3つ目は自分の信用だ。たまにブログなどを読んでいて思う。「この情報は正しいの?」特に普段ニュースにならないテーマはデータの信用度が薄い。「どこから提供されたデータか?」という情報が信用を補ってくれる。ただし、ウィキペディアなどは逆に信用が下がるので注意したい。私はよく官公庁がらみのHPでデータを調べる。いろいろ問題点が指摘されているが、他はもっと信用度が低いので仕方がない。
あと、文章の引用でよく見かける禁じ手が”文章の改ざん”だ。本文を削ったり、言い方を変えたりする人がいる。これはバレた瞬間に信用が地獄へまっ逆さまだ。私のように元ネタまで調べにいく暇人は少ない。だが、ゼロではない。「この文章はわかりにくい。要約したい」と感じても、本文は触らずにすべて引用する。わかりやすく解説したいなら引用の外ですればいい。
無料、有料問わず、利用できるデータは増え続けている。文章、数字、画像、動画にソフトなど種類も数え切れない。これはすべて提供者の努力の結晶だ。タダ乗りはいただけない。『一円を笑うものは一円に泣く』という言葉が示すように、他者の功績を軽く扱う人は自分も軽く扱われる。この法則から逃れる方法はない。
与える人は与えら、
奪う人は奪われる。
↓ ランキングに参加中です。