嫉妬は悪いものじゃない
2019年9月25日 自宅
この展開はよめなかった。
ただ感動するしかない、子供の心に戻される物語がある。そういう物語は面白い。物語の世界に浸る喜びを味わう。だが、その陰にある感情がわく。『羨ましい』という嫉妬だ。
流れるように美しい言葉の旋律を生み出せる。
読者を驚きの渦に巻き込む。
生きる希望を抱かせる結末を示す。
そういう物語を描く才能を持った作者に嫉妬する。「無意味だ」「身の程を知らない愚か者だ」と感じながらも抑えきれない。感情はワガママだ。
嫉妬
この感情を喜ぶ人はいない。胸がひりつくような痛み、頭にこびりつく、嫉妬を感じる自分が情けない。そんな火にあぶられるような感情を心地いいとは思えない。けれども、嫉妬は証明書でもある。
嫉妬する分野の才能がある。
まったく才能がない分野に嫉妬はしない。例えば、料理の才能はわかりやすい。才能がゼロの人は味すらわからない。お金を払っても口に入れたくないマズイ料理を食べても、「おいしい」としかコメントできない絶品料理を食べても違いを理解できない。「これほど記憶に残る料理が作れるなんて」と嫉妬できるのは、料理を作る才能がある証拠だ。
私は味の違いはわかるが料理人になれる才能はない。なぜならば、絶品料理に出会っても「うまい、うまい」と料理を心から堪能できるからだ。代わりに料理の説明を細かく聞いてしまうのは、字書きの才能があるからと思いたい。
嫉妬するのは悪いことじゃない。
嫉妬した後の行動で良い、悪いが決まる。
嫉妬した相手から何かを学ぶか、足を引っ張るか。
少しでも追いつこうと努力するか、あきらめてうずくまるか。
嫉妬の感情を成長へのバネにするか、堕落するかで結果がわかれる。
たとえ才能ある人を引きずり下ろしたところで、自分と同じ位置にはこない。嫉妬の感情から誰かを貶める。それだけで自分のレベルが下がる。少なくとも、嫉妬した相手よりも自分が上になることはない。もし世間的な評価は自分が上回ったとしても、自分自身は騙せない。
嫉妬した人に学んでも、血を吐くほどの努力をしても才能の差は抜けない。それでも、努力する前よりは生まれ持った才能は磨かれている。大事なのは、どれだけ自身が成長したかだ。自分以外は先生という名のベンチマークに過ぎない。
何をしても嫉妬の感情はなくならない。努力した結果、嫉妬の痛みが耐えがたくなることもある。それは才能が磨かれたことで感性が鋭くなった証明だ。感性が高まるほど、良いもの価値が深く味わえる。才能の差もハッキリと観えるようになる。そう、嫉妬の熱量が失われることはない。才能を磨く燃料にするか。自らを焼き尽くす炎にするか。選ぶことだけだ。モーツアルトに嫉妬したサリエリのように。
嫉妬は太陽のようなものだ。
生命の源にもなるが、渇きで命を奪う存在でもある。
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