延命は誰のため?
2019年11月16日 会議室
「医師の診断より、母は長く生きています」
周りは笑顔で拍手していた。
私は、心から称賛できなかった。
長生きする。
長生きは良いことだ、と感じる人が多い。条件による、なんて考える私は圧倒的な少数派だろう。私も幼稚園の時に触れた悲劇が無ければ、毎日、痛みと共存していなければ、きっと手放しに応援していただろう。
叔父が末期がんだった。
今より30年以上も前の話だ。延命治療をするのが絶対、そんな時代だ。この医療の暴走で地獄を味わったのが叔父だった。
何回も身体を切られ、ついには鎮痛剤がまったく効かなくなった。苦痛で寝ることも、食事をとることもできない。点滴で命を無理やりつないでいた。
叔父は、母の弟だった。祖父は認知症で老人ホーム、祖母はずっと前に亡くなっていた。肉親は母と弟である叔父だけだった。母が末期がんの叔父が弱音が吐ける唯一の存在だった。
「殺してくれ」
叔父が亡くなってから、10年以上過ぎた時に聞いた。母と二人きりになる度に、訴えていたらしい。そんな叔父の意見は受け入れられなかった。何度も屋上に向かってもいたらしい。自殺を防ぐために、見張られていたようだ。
最後は悲惨だった。看護している人のスキをついて、命をつないでいる点滴の針を抜いて亡くなった。誰にも看取られることのない、なにもない冬景色を思わせる去り方だった。
叔父が亡くなった後の、母の狂乱はひどかった。相続問題も絡んでおり、お葬式はめちゃくちゃだった。火葬される瞬間まで、安らぎのない空しい別れだった。
この事件がきっかけに母のお酒を飲む量がひどくなり、家庭は崩壊した。私が味わった苦難の原因の大部分は、ここから始まった。
それでも、私には叔父を責める気にはなれない。元気な時に、母と教育方針でけんかするほど可愛がってくれた。それもあるが、一番の理由ではない。叔父の苦痛と幸福、両方を感じたからだ。
闘病中の叔父の表情はひどかった。全身が腫れあがり、顔は風船のようにパンパンだった。症状が悪化するにつれて、目がどんどん濁っていった。亡くなる寸前は元気な時とは同じ人とは思えないほど人相が変わっていた。それなのに、死に顔は子供のように穏やかだった。苦痛から解放された叔父は、元気な時の表情に戻っていた。
私が生を無条件に肯定できず、
死を完全に否定できないのは、
叔父の表情が頭に焼きついているからだ。
延命は患者の苦しみを長引かせる行為だ。
どんな論を使おうと、この事実は変わらない。
患者自身が望んでいるなら、とても素晴らしいと感じる。身体の苦痛を耐えても、生きたい理由があるということだ。それほどの感情を持てた人は、幸せな人だと思う。
だが、患者以外が延命を決める。
これを無条件に認めたくない。
大切な人を失うのは苦しい。
たとえ意識が戻らないとしても、生きていてくれるだけでいい。
その気持ちは当然だ。私も大切な人を何人も見送っている。「居てくれるだけでいい」という感情を否定できはしない。
けれども、苦痛を耐えるのは患者だ。
延命治療はお金がかかる。看病は気力、体力の消耗が激しい。苦しんでいる大事な人を見守ることしかできない、心痛は耐えがたい。まったく、苦しみを感じないとは言わない。しかし、最も苦痛を感じるのは患者だ。
ある延命の話を聞いた。医師の診断では3日の命だったのが、3年以上、命をつないでいるらしい。一度も意識が戻ることはなく、ほとんど集中治療室だ。食事も、トイレも、たとえ意識が戻っても行える日は来ない。呼吸すら、自力ではできない。
その生を、心から祝福することは
私にはできなかった。
人間は意識が無くても、痛みを感じるという。医学の進歩した現代では、延命の選択を患者以外が決める例が増えている。意識不明から、歩けるまで回復した話もある。延命の選択が悪いとは言わない。だが、その選択を委ねられた時、一度は考えてほしい。『地獄のような苦しみを与える可能性がある』ということを。それでも、『本人がその生を望むか?』ということを。
その選択は、
相手の為か? 自分の為か?
たいていの場合、自分の為だ。
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ひとりでも多くの方が
この危機を乗りこえられることを
願ってやみません。