歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『AI崩壊』に人のもろさをみる

 映画『AI崩壊』に人のもろさをみる

 

2020年3月11日 映画館

 

家の近くに映画館がない。

それなのに、観るべき映画がある。

 

駅3つ分以上の距離を移動して、映画館に向かう。もちろん、映画狂のパートナーもいっしょだ。なぜ、そこまでして観る必要があるのか。

 

約束した。

 

映画『AI崩壊』の原作者と去年、立ち話をした。その時に「絶対に映画館で観ます」と宣言した。まったくの偶然、原作者と再び会う可能性は少ない。観なくても、何も問題はない。だが、宣言したのに観ないのはどうも落ち着かない。幸いなことに、映画狂のパートナーも観たがっていた作品だった。これは、行くしかない。

 

私は免疫系の病気持ち

映画狂は心臓病でペースメーカー入り

 

感染症対策を万全にして、映画館に向かった。

電車を避け、リスクの低い車で移動だ。

 

ガラガラ

 

ショッピングセンターの中にある映画館だ。いつもは人がたくさん歩いているのに「閉店寸前ですか?」、尋ねたくなるほど人が少ない。関係者には申し訳ないが、ホッとした。これなら、新型コロナウイルスに感染することはまずない。

 

穏やかな心で映画『AI崩壊』のはじまりを待った。

 

 

そっくりだ。

設定は違うけれど。

 

今の世界にそっくりだ。

 

この状況を予測していたのか?

疑いたくなるほど、混乱する風景が似ていた。

 

映画ではAIシステムの暴走、こちらは感染症の流行、パニックになる原因は違う。だが、人の混乱する理由が同じだった。 

 

 当たり前の崩壊

 

外食、旅行、会議など、これまで出来なくなることを想像すらしていなかった行動が出来なくなる。健康にみえていた人が目の前で亡くなる。行動が制限され、死が身近に迫ってくる。今、人類に襲いかかっている。日常生活が崩れ去る様子がよく似ていた。

 

私も、パートナーも、ニュースを毎日チェックしているが動揺はしていない。これは、当たり前が崩れていないからだ。行動が制限されるのも、感染症対策をしなきゃいけないのも、死がすぐ傍にあるのも、日常でしかないからだ。いつ死ぬかわからない現実を共に生きている。なので、お互いにのんきなものだ。停電が長時間続いたりしたら、さすがにイライラするだろうが。

 

映画『AI崩壊』でも同じだった。AIに生活を頼っている人ほど、パニックになっていた。逆にパソコンすらほとんど使わないような、昔ながらの生活をしている人たちは「大変だね」と他人事のようだった。危険が近づかないと怖さに気づけない。こんなところも、今の世の中そのままだった。

 

当たり前と感じるものを大切にする人は少ない。その大切さを失うまでは気づけない。たいていの場合、当たり前に感じるものほど大事でかけがえのないものだ。健康、安全、環境など、失うと困るものほど大切にしない。当たり前が消えると、心の安定すら保てないほどもろいのに。人類の悪い癖だ。

 

映画『AI崩壊』では、登場人物の多くが学びを得た。起こってしまったことを、無かったことにはできない。映画『AI崩壊』のように、当たり前の大切さに気づく人が増えるといいな。そう、願った。

 

劇中のように、人類外の存在に選別される前に。

 

 

健康

環境

大切な人

 

失ってしまえば

二度と戻らないものほど、

人は大切にしない。

 

いつまでもあると妄信するがゆえに。 

 

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