自分に厳しいのは良いことなのか?
2020年7月2日 自宅
あほだったな。
はぁーーーとため息が出た。
あれもしたい、これもしたい。
休んでいる時間がもったいない。
1秒だって、ぼぅっとしているのは嫌だ。
その行動の行き着いた先が寝たきりである。気力で押し通すのも限度があると反省した。精神力で体を無理やり動かすのではなく、体に合わせて予定を組むように切り替えた。何十年も無茶を重ねた心身は元には戻らない。それでも、倒れる前よりは楽になった。体を襲う痛みも、咳が続く時間も、夢でうなされる日数も減った。
今の生活を昔の自分がみたら怠け者と言うだろう。昔の自分を呼び出さなくても、心の奥で自らを罵倒している人格もいる。それにつられて、つい頑張りすぎて体調を崩すときもある。そして、医師と家族の説教を受ける。なかなか、長年身についた癖はぬけないものだ。これでもマシになったのだ。少しは恐ろしい顔をゆるめてほしい。
無茶が続かず、倒れる。
たまの頑張りでも、倒れる。
頑張らなくても、やっぱり倒れる。
どれほど気をつけても、体調を崩して倒れることを防げない。これは何十年の無茶は関係ない。元々、そういう体で生まれたのだ。子供のころからの恒例行事である。ただ、体のために楽を選ぶようになって大きく変わったことがある。
イラッとすることが減った。
パートナーに「火をつける前に自動発火する」と言われるほど私は短気だ。顔は笑みを保っていても『手の動きが遅い』『作業手順の無駄が多い』『結論を言うのが遠回し過ぎる』など、他者の足りなさを冷めた目で分析していることが多かった。
最も怒りを向けた相手は自分だ。理想通りに動けぬ自分に常にイラついていた。うまくいく方法がイラストで描けるほどはっきり見えているのに実行する体力がない。どれほど無茶を重ねても、どうしても届かない。倒れるたびに、自分を責めていた。
どう考えても、あほである。
他者へのイラつきでストレスを増やす。自分で自分を追い込んで、心身ともに負担を増やす。どうしようもなく空回りしている。黒歴史としか言いようがない。
体が動かせなくなった。そうなるまで、自分に厳しい目を向けることをやめられなかった。自分に厳しくが大事とは言うが、限度を超えていたと自覚できた。寝たきり生活1年が過ぎるまで、自分に甘い人間だと思っていた。現実との認識の差がひどすぎる。
転げまわりたいほどの羞恥心を含んだ反省を踏まえて、今は自分に優しい生活をしている。昼過ぎまでだらだら寝ているし、食事を無理に多くとることもなくなった。体がつらいときは、我慢せずに薬を飲むようになった。これはこれで栄養失調になったり、筋力が落ちたり、薬で胃が荒れたり、いろいろと問題はある。だが、心は格段に楽になった。なにより、心に余裕があるおかげで他者にイライラすることがほとんど無くなった。
自分に優しくなると、他者にも優しくなれるんだな。
長いから周りの末に得た実感だ。
張りすぎた糸はたやすく切れるが、
たるんだ糸はどれほど細くても切るのは難しい。
自己紹介でもある記事
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