すべてを水に流せなくても
20202年6月11日 自宅
憎しみ
これほど、受け入れがたい感情はない。
抱えている自分を認めたくないから。
Twitter、ブログ、HP
文章を読むのが好きなので、あっちふらふら、こっちふらふらしている。そうすると、どうしても出会ってしまう。
憎しみを込めた文章
本ならば避けることができるが、ネット上では目に飛び込んでくる。特にTwitterなどのSNSは途中で読むのを止められない。止めると思う前に読み終わっているからだ。Twitterが炎上しやすい原因のひとつだと感じている。
憎んじゃいけない。
口で言うのは簡単だが、行うのはまず不可能だ。一生、喜んじゃいけない。これと同じくらい無茶である。感情というのは浮き上がってくるものでコントロールはできない。こちらにできるのは『どう受け取るか?』だけだ。
日本には水に流すという言葉がある。過去のいざこざをすべてなかったことにする意味だ。
記憶ごと、憎しみをすべてを流せたらどれほど楽だろう。私のように記憶障害で覚えていなくても、何かは残っている。水を頻繁に流す洗面台にも汚れがつくように、すべてを流すことなんてできはしない。
ただ、これだけはできる。
憎しみで心を埋めないことは。
憎しみを中心にしていると膨れ上がっていく。心の1/3だったとしても、そのうちすべてになっていく。おまけに、憎しみは強い感情だ。他者の心も引きずりこんでいく。”憎”しみと”増”える、このふたつの漢字は似ている。そこに、思わず意味を感じてしまう。
増やさないコツは忘れることだ。だが、忘れようとすると余計に中心に近づいてくる。だから、私は中心を物語で埋めた。大好きなものを10トンの重りをつけて設置することで、憎しみが入るスキを無くした。中心を占められなかった憎しみはどんどん端に追いやられ、今では倉庫の隅でほこりをかぶっている。たまにひょいと顔を出すこともあるが、昔ほど心は揺れなかった。
憎しみのこめられた文章を書く人は、憎しみを自ら抱えているともいえる。よほど大切なものがあったのだろう。大切なものが傷ついたから憎むのだ。その先が破滅だとわかっていても。
どんな感情にも意味がある。
だから、憎しみを否定する気はない。
ただ、
憎しみにとらわれる人が少しでも減ればいい。
そう、願ってはいる。
水に溶ける紙のように
憎しみも溶かされるものならば
もっと穏やかに過ごせるだろうに。
実際はどんな物質よりも強固、
それが憎しみだ。
だからこそ、多くのものに利用されている。
本人の気づかないところで。
「憎んじゃいけない」
と言いながら
憎しみをあおっている。
ここに人の世界の矛盾がある。
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