歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】転んでもタダでは起きない

転んでもタダでは起きない

 

2020年8月10日 自宅

 

うっひょい

 

私のテンションは上がった。

 

 

気が沈む話題を目にすることが多い。だが、今日は違った。ゲーム『刀剣乱舞』のTwitterアカウントに心躍る情報が連続投下された。明日を迎えるのが待ち遠しくなるような情報だらけだ。ゲーム『刀剣乱舞』が好きな方々の考察や喜びの雄たけびも楽しい。これだから、オタク生活はやめられない。

 

それにしても、ゲーム『刀剣乱舞』のネバーギブアップ精神がすごい。通常公演の舞台やミュージカルだけでなく、ゲーム開始5周年の特別イベントの数々も潰れた。東京ドームを借りるイベントも中止になったのに。「せっかく演者のスケジュールを抑えてあったのだから、ネットで生放送配信だ」と別イベントに切り替えていた。そして、東京ドームのキャンセル代ぐらいは稼いでいた。元々、ネット動画配信に慣れていたとはいえ凄まじい企画力だ。「運営ちゃんはドジっ子」と言われていた頃のドタバタが懐かしくなる。今でも、笑いを誘うミスはたまにあるが。

 

そんなたくましい姿を目にするたびに思う。

やっぱり、転んで起き上がるだけでは足りないな。

 

「どれだけ早く起き上がるかが勝敗を分ける」なんてよく言われる。私は、それだけではもったいないと常々感じている。転んだ原因を分析だけじゃ甘い。転ばないように対策を立てたとしても届かない。それは、転ばないくてもできることだ。

 

転ぶ前と転んでいる時、

最も違うのは目線の位置だ。

 

その位置には、転んでいない時はどう頑張っても見ることができない景色が広がっている。そして、転んでいる時は周りの態度が変わる。まっすぐ立っている時は寄ってきた人が離れたり、逆にあまり交流のない人が助けてくれたりする。転んでいる時にしか出会えない人もいる。

 

早く起き上がることだけに集中していると気づけない。転んだ自分を笑い飛ばすぐらいの気楽さだと色々と目に飛び込んでくる。転んでいる時にしか身につかないスキルや知識もある。だいたい、人生というのは思うようにはならない。ということは、生きている限り無様に転ぶ場面は無くならないのだ。

 

転ぶのも人生の一部だ。

別に特別視するほどのものじゃない。

 

それなのに、転ぶことに怯え続けている。

足元ばかりを見て、広がる大空や道を飾る花々を楽しめない。

 

転んでいる時でも、空や草花を楽しむことはできるのに。

 

ゲーム『刀剣乱舞』ほど上手に立ち回れなくても、お気楽でいればストレスに押しつぶされたりしなくなるのにな。それに、どうにもならない事なんていくらでもある。過去の出来事も、病気も、災害も、人の自由になんてならない。どれほど頑張っても動かないものはある。

 

「ふざけているのか」

 

私は尋ねてみたくなる。

「真剣に考え続ければ、状況は良くなるんですか?」

 

深刻に考えるほど、事態は悪化していく。

それを知っているので、口にすることはないが。

 

肩に力が入るほど、状況は悪化していく。

だから、転ぶたびにこの言葉を唱える。

 

「何か掴めるものはないか?」

 

転んで起き上がって終わり、それでは納得できない。「転んだけれど、それ以上に得るものがあった」というピリオド以外は認めない。この損を許せない商人気質が生き抜けた理由のひとつなのだろう。

 

転んだ分の利は絶対にとる。

生まれる前から私に刻まれている言葉だ。

 

 

よく転ぶ子供は

何度転んでも大怪我をあまりしない。

 

あまり転ばなかった子供は

道路で転んで骨を折ったりする。

 

転ぶことで体の使い方を覚える。

その経験が無かったがために。

 

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