歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】ないない尽くしで得たもの

ないない尽くしで得たもの

 

2020年9月12日 

 

なかった。

 

だからこそ、得たものはたくさんある。

 

 

「うらやましい」

 

客観的な視点、データ分析力、文章スキルなどを褒めていただくことがある。自分では、自己中心的でひねくれた見方をする計画して文章を書けないへっぽこ人間だと捉えている。自己評価といただく言葉との差に有難いような、恐れ多いような、嬉しいようなゴチャゴチャした気持ちになる。たまに「うえたさんの才能が欲しい」とか言われたりする。

 

これまでのすべてを知ったら、

絶対に欲しいとは言われないだろうな。

 

つい、思ってしまう。

 

ブログ記事などで出しているのは、あくまで一部だ。『もう一度、最初から人生をやり直しますか?』と言われたら少しも悩むことなく断る。身についたスキルは悪夢の連続な体験の結果だ。最初から、こうだったわけじゃない。

 

貧弱体質、泣き虫、口下手

 

これが、スタートだ。同い年が元気で遊んでいる中、痛みや咳や皮膚のかゆみなどに苦しみながら一人ぽつんと本を読んでいた。ここにアルコール中毒寸前の母である。

 

休まず学校に行く体力もない。

言いたいことも言えない。

何でも食べられない。

 

出だしからこれである。小学生のときに両親が離婚、さらに状況は悪化する。

 

貧困になり、栄養が満足にとれない。

母が心を病み、気を抜いて寝ることすらできない。

 

救急車も一人では呼べない年齢で、貧弱な体ひとつで母の看病や集金の人への対応もしていた。周りが見かねて、父に連絡して引き取られた。それでも、また状況は悪化する。

 

知り合いゼロ、相談相手が一人もいない。

学校でいじめ、周りが隠ぺいで味方がいない。

父はパチンコ中毒で、相変わらず栄養がとれない。

 

他にも色々、ないない尽くしと言っていい状況だった。そんな状況で人生トラブルが多数発生した。当時を思い出すと、壁をぶん殴りたいような、一ヶ月ぐらい押し入れにこもっていたくなるような、薄暗い気持ちになる。それを何とか乗り越えたのだ。そりゃ、生き残るためのスキルが伸びないとおかしい。

 

感情は対処に邪魔、だから客観的になった。

身体も立場も弱い、だから我慢強くなった。

対等じゃない、だから交渉がうまくなった。

 

生きるか死ぬかの状況が幾度もあった。才能あるなしの問題じゃない。対処できないと死ぬのだ。向いている、向いてないを気にする余裕なんてなかった。目の前の問題を解くのに必死である。親も含めて気の許せない大人に囲まれた中で、病気でふらつきながら10年以上も子供の体で耐えきった。そんな経験をすれば、どこかは見所のある人間になるだろう。ないない尽くしなダメ人間、基本が変わっていないとしても。

 

いや、違うか。

ないない尽くしだったからこそ、多くのスキルを得たのか。

 

他に選ぶ道があったならば、これだけスキルが身につくほど耐えたりしなかった。どうしようもないと言い切れるほどひどい状況だった。所謂、背水の陣だ。逃げる場所も味方もいない。なのに、敵だけはたくさんいる。ならば、頑張るしか道はない。生き残りたいならば。

 

何も差し出さずに、何かを得ることはできない。

 

たまたま、私は生きるために選べる選択肢が少なかった。

なんとか対処していたら、スキルが増えていた。

 

ただ、それだけの話だ。

 

そんな経験をしていると、他者の才能がうらやましいと言える人がうらやましくなる。他者に称賛されるスキルを得る代償を考えたら、とても欲しいなんて思えない。「うらやましい」と言える人は、これまで代償の重さを味あわずに過ごしてこれた人だ。その平穏さこそ、私はうらやましい。

 

自分の持ち物の価値に気づかず、

他者の持ち物が素晴らしくみえる。

 

人の困った性質だ。

 

 

表にみえるものは

全体の一部にすぎない。

 

その一欠けらを

重く深いものが裏で支えている。

 

 

 

 自己紹介でもある記事

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