散らかっていても、いいじゃない
2019年3月28日 友人宅
部屋に入った。いつ訪問しても、かわいらしさと清潔さを兼ね備えた空間だ。海外旅行の思い出のタペストリー、鉢植えで咲く小さな花、宝石のようにデコレーションされたクッキーがつまった瓶、そしてスッキリと整頓された空間、モデルルームと言われても信じてしまいそうだ。私の部屋とは大違いである。
どこに目線を配っても本、本、本。机の上も、押し入れの中も、戸棚の中も、ベッドの上にも本である。大きなスペースに飾られた刀剣乱舞のキャラ『ヘし切長谷部』のグッズ、後はパソコンなどの機械類である。圧倒的な差で本&オタクグッズ&機械類>衣装類&アクセサリー小物である。以前に言われたことがある「男の部屋より殺風景」、片づけられた部屋とは口が裂けても言えない。
最近は、ミニマリストが流行である。というより”片づけよう”という考えは、断捨離など言葉は変わっても常にある。きっと、できないからこそ無くならないのであろう。「できればがいいとわかっていても、行動に移せない」ダイエットと同じである。
多くの人に認められるような部屋は、私にとっても憧れである。だが、今の部屋の状態を無理やり変える気はあまりない。だって、不便なのだ。片づけに良く書かれている言葉「本は100冊以内」、この瞬間に挫折である。毎食おかずなしで暮せ、と言われているようなものである。
ゴミ屋敷と言われるぐらい周りの人が困る部屋、ある友人の部屋のようにモノで床が見えない、ここまで突き抜けてしまう人もいる。足の踏み場が無く困った私に友人が放った「そこのモノ踏んでいいから」のセリフは衝撃だった。あるお宅の床が油でベトベトで、ベチャリとした踏んだ感触には背筋がぞわっとした。
ほこりっぽい、汚れがあちこち、悪臭、これは身体に悪い。モノを使おうとする度に数分探さなければいけない、そんな状況なら「片づけたら?」と言ってしまう。見かねて代わりに片づけたこともある。結局は無駄だった。1カ月でほぼ同じ状況に戻った。今の部屋の状態は、本人にとっては最高に居心地のいい状態である。健康にいい、悪いとか人の目とかは関係ない。以前と違う部屋は、心の準備もなく引越しするハメになった人と同じ気持ちになる。どれだけ環境が良くなったとしても、落ち着かない。だから元の状態に戻る。
部屋が多少散らかっていても、部屋に誰かが入った時に恥ずかしいぐらいである。心の安定が崩れることに比べたら、軽い話である。そう思っていても、本屋に行くとこんまりさんの本を立ち読みしたりする。
部屋の片づけも難しいが、心の片づけはもっと難しい。
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