ゲームで学ぶ5教科
2020年6月17日 自宅
ゲーム
今年に入って、これほど評価の変わった対象もないだろう。去年までは、ひどい言われようだったのに。今では経済紙でもゲームの話題がよく掲載されている。WHOが大っぴらに「家でゲームをしよう」と呼びかけている。
元々、WHOの中ではゲームは健康に良い派・悪い派で論争が繰り広げられていた。日本でよく紹介されるのはゲームの悪影響ばかりだったが。ゲーム好きの生き物としてはスカッとする展開である。
私は独学でほぼ学んできた。それでもなんとかなったのは、本とゲームが好きだったおかげだ。どちらが欠けても今の知識は頭になかっただろう。だから、勉強に悪影響とゲームが非難されるたびにもやっとしていた。学ぶ気のない人はゲームを取り上げても勉強しないのに。
本があれば十分じゃないか?
健康な人や天才ならできるかもしれない。だが、私には無理だった。本を毎日読む体力も、一読で理解する才能も、さらに言うならコツコツ続ける根気も無かった。本が占める割合はもちろん大きいが、ゲームも負けていない。
無意識のすりこみ
ゲームは知らぬうちに情報を増やしてくれた。例えば、昭和に発売された『ドラゴンクエストⅢ』というゲームソフトがある。小学生の時に、生まれてはじめて家で遊んだビデオゲームだ。このゲームは、今振り返ると5教科と言われる国数社理英のすべてが含まれていた。
キャラクターが動き回るマップは世界地図ソックリ、村や町で起こるイベントはそれぞれの国の特徴が散りばめられていた。そして、キャラクター・モンスター・呪文などの名前は英単語をカタカタで書き表したモノが多かった。謎解きには、モノが動く仕組みや物質の変化などの情報を集める必要があった。
当時はまだ個人がパソコンを持っていない時代だ。ゲームが扱える情報量はとてつもなく少なかった。『ドラゴンクエストⅢ』だと256KB、現在では編集した文章すら送れないデータ量だ。漢字にフリガナをつけたり、ダメージ計算を表示する余裕なんてない。遊んでいるこちらが辞書で調べたり、ペンを片手に計算するしかなかった。
こちらは面白くて熱中しているだけだった。それなのに、中学生で学ぶ勉強の予習になっていた。学び始めるまで、まったく気づかなかったが。私を助けてくれたゲームソフトは『ドラゴンクエストⅢ』だけではない。学ぶためのゲームや歴史がテーマのゲームでなくても、試験勉強の助けになる情報はたくさんあった。人生の学びについては言うまでもない。
私はいつも疑問に思う。
なぜ、我慢して勉強をするのか?
面白く学べるように工夫すればいいのに。
学校生活は、社会のルールや人間関係などを学ぶ場でもある。それは理解しているが、「我慢を勉強にまで持ち込まなくても」と思う。勉強の大きな目的は、自ら学ぶ力を身につけることだ。逆に言えば、きちんと学べるならば方法は何でもいい。
私は講義や動画で学ぶのは苦手だ。短気なので、話の展開が先読みできると眠たくなってくる。学生時代の数少ない授業中ですら、教科書で隠して図書館で借りた本を読んでいた。早弁ならぬ、早本である。相手ペースの学びが苦手なので、本やゲームでマイペースに勉強している。もし、すべて講義と動画で学べと言われたら勉強するのが嫌になる。どうしても必要なときですら、動画なら倍速再生が基本なのに。
学びは勉強だけじゃない。
だいたい、勉強しろと言われるほど人はやる気をなくす。そして、やめろと言われるほどやりたくなる。禁止と言われると魅力的にみえる。自分も味わったことがあるはずなのに、なぜ忘れてしまうのか。私は不思議でならない。
最近は、面白く学べるゲームが昔よりもたくさんある。
英語と地図ゲームアプリには、どれほどお世話になっていることか。
ゲームのなき学びは、私には考えられない。
我慢して学ぶ人は、
面白く学ぶ人には勝てない。
面白く学ぶ人だけが
時間を忘れて学ぶことができるのだから。
本人に学んでいるという自覚は無くても。
自己紹介でもある記事
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