明日も、生きているのだろうか?
2019年11月7日 自宅
明日、目が覚める。
疑う人はまずいない。
だが、目覚める保証はどこにもない。
今日と同じような日が明日も続く。そう、多くの人は信じている。「最近、つまらない」が口癖の人でも、今よりも悪い状況を思い浮かべはしない。どれだけ悲観的でも「目が覚めなかったら、どうしよう」と悩む人はとても少ない。「寝坊して、遅刻しちゃったら」と恐れる人はゴロゴロいるが。
特に大きな出来事でも起きない限り、似たような日が連続すると人は思いがちだ。天気で服装が違ったり、低気圧による頭痛で苦しんだり、花粉症で鼻水が止まらないことはある。誕生日のお祝いをしてもらえるかもしれない。けれども、目が覚めてから眠りにつくまで、前日とは1ミリも被らない日になるとは想像もしない。
だが、人生はそこまで平たんではない。予期せぬ出来事が何度か起こる。実は、特別な出来事が無くても同じ日はひとつもない。残酷な言い方をすれば、少しずつ死に近づいている。しかも、このカウントダウンはいつゼロになるかがわからない。1秒後かもしれないし、100年後かもしれない。
だからといって、考えなしに生きるわけにもいかない。「人生の先なんてよめない」と何の用心もしていなければトラブル時に痛い目をみる。災害に巻き込まれたときに、水も食料も薬もなかったら悲惨だ。停電のときに現金がなければ、買い物もできない。また、人はいつまでも元気ではない。いつかは老いるし、病気にもなる。多少の備えは必要だ。
残念なことに、多くの人はこの間だ。長期的な視点で、いざというときの備えをしない。そして、いつ終わるかわからない日々を大切に過ごそうともしない。『忙しく動いていたら、時間が過ぎていた』というパターンがとても多い。
私は自由に使える時間が少ない。起きる時間もバラバラ、寝る時間もバラバラだ。1日のうち座っていられた時間が30分なんて日も珍しくない。『目が覚めたら3日経過していた』という日だってある。
だから、1分1秒の濃度が自然と濃くなる。同じ日が明日も続くなんて、感じたことはない。呼吸困難もひんぱんに起こるので、『このまま、あの世行きかも』との想いがいつも心の片隅を占領している。なので、やりたいこと速やかに行う。できないなら、スッパリとあきらめる。悩むような余地はどこにもない。死ぬ瞬間に、後悔するのは絶対にごめんだ。後回しという言葉は私の辞書にない。
周りをみていて、思う。なんとなく1日を過ごせる人は幸せな人だ。『明日が来ないかもしれない』と感じていたら、ぼんやりと過ごす気持ちになんてなれない。『明日が来る』と信じているからこそ、時間を贅沢に使えるのだ。
ぼけーと道を歩く、そういう時間もある。太陽の温かさや風の心地よさを味わい、ソバ屋さんから流れてくるだしの香りにうっとりする。私にとっては、ゆったり散歩も娯楽だ。傍からみれば、のんきに見えても実は真剣に楽しんでいる。
いつも緊張して過ごす必要はまったくない。そんな疲れる生活は私も嫌だ。けれども、もう少し毎日を大切に過ごしたら世界が違ってみえるのに。あちこちでもめ事を聞くたびに、つい思ってしまう。貧弱体質のひがみだ。
今日と同じ日は二度と訪れない。
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