悪い物もたまにはいい
2020年8月27日 自宅
「よし、飲むぞ」
唐突に、どうした。
パートナーが急にお酒の準備を始めた。まだイエスと私は言っていないのに。強引な人だが、無意味なことはしない人だ。飲むという前提で現状を確認した。
薬を飲んだのは:10時間以上前
飲酒の約束:クリア
明日の予定:なし
※飲酒の約束
第一条 一人では飲まない
第二条 どうしても一人で飲みたいときは、居酒屋など人前で飲む
今から飲んでも問題はなさそうだ。昔のように居酒屋で日本酒1合とブランデーストレート1杯とカクテル3杯とつまみを注文、一人で1時間半ほど楽しんでテクテク歩いて帰る。そんなお酒への強さはもうない。最近はコップ1杯も飲まない。もちろん、毎日飲んだりもしない。最も体力があるときだって、1か月に1回も飲まなかった。お酒が強いのは飲みなれているのではなく、母の家系の遺伝子のおかげである。体調が悪くても酒つよ遺伝子は変わらない。
それでも、身体の痛みがひどくなるのは避けられない。お酒を飲んでいる最中は痛みが強くない。それどころか、痛みが和らぐ。問題はアルコールが消化された後だ。和らいだ痛みが元に戻るだけでも、普段よりも痛く感じる。お汁粉に塩昆布で甘みが増すように、感覚が鋭くなってしまう。いつもの痛みに慣れた感覚にもどるのに、だいたい半日ぐらいはかかる。
お酒を飲んだ後は、肝臓をいたわるために鎮痛剤を飲むのを1日は空ける。つまり、お酒を飲むことは痛み我慢大会始まりの合図だ。翌日に予定がないかの確認は必須である。激痛を薬なしで耐えて用事をこなす。そんなセルフ拷問をする性癖はない。
ツライくなるとわかっているなら、
お酒を飲まなければいいじゃないか?
その通りだ。それでも、身体に悪い物だとわかっていても、どうしても欲しくなる時があるのだ。アルコール度数の高いお酒・砂糖と油たっぷりのショートケーキ・M印のジャンクフード・添加剤だらけな駄菓子やジュース、私のアレルゲンであるチーズやヨーグルトの入った料理など避けた方がいい飲食物を口にしたいときがある。そのメカニズムは謎だが、欲しい時に欲しい物を食すと心がスッキリするのだ。
ある会で、健康な生活の話になった。その場には、私の他にもう一人アレルギー体質持ちがいた。「アレルゲンが入ったものを食べたいときはどうしてますか?」と質問が飛んだ。その人は「体調を崩す覚悟で食べる」と答えていた。私も似たような答えを返した。もう一人のアレルギー体質の人と話が盛り上がったのは言うまでもない。『どれだけ食べれば、どういう症状がでるか把握している』なんてところまで同じだった。
過ぎる我慢は身体によくない。
身体の健康はもちろん大事だが、精神の健康はもっと大事である。「あれダメ、これダメ」でストレスがたまれば、悪い物を身体に入れるよりも悪影響が上回ってしまう。生活習慣病になったり、救急車で病院に運ばれるようなレベルは問題しかない。だが、すべて理想的な食生活は無理がある。特に病人は健康な人より制限が多い。たまにハメを外すぐらいでないと生きるのがしんどくなる。食の楽しみは、多くの人にとって人生に占める割合は大きいのだ。
飲酒後、パートナーがお酒を用意してくれた理由を聞いてみた。「ゆみの顔が煮詰まっていた」と返ってきた。どうも、母の命日がらみでトラウマが刺激され、知らぬところでストレスがたまっていたらしい。どおりで。最近、睡眠時間が短めだった。私には、自分の苦痛を無視する傾向がある。常に身体が痛いへっぽこ貧弱体質なので、見ないフリしないと精神が持たない。そういう切実な理由があるので仕方ない面もあるのだが。パートナーの眼には限界が近いようにみえたそうだ。反省である。
居酒屋のカウンターで一人、大酒を飲む。
自宅でパートナーと、少しだけお酒を飲む。
随分と、ストレスの発散の仕方が変わったものだ。
どちらにも可愛さがなく、
むしろ渋さしかない点には目をつぶった。
人は、正しさだけでは救われない。
自己紹介でもある記事
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