もじ書き、最大の強みは?
2020年1月20日 自宅
ドタバタの日曜日を過ぎて、月曜日である。
現在、私は自宅で寝転がっている。
昨日、百貨店で倒れ救急車で運ばれた。運が良いことに、通院していた病院が受け入れてくれた。しかも、診てくれた線維筋痛症を知っている医師だった。ウルトララッキーとしか言いようがない。全身が痛む免疫系の病気、線維筋痛症は医師でも詳しく知らない人がいる。私の悪運の強さは健在なようだ。
医師の話によると、火曜日に予定していた手術はしなくていいようだ。つまり、日帰り入院もなしだ。1週間ほど薬を飲んで、安静にしていればよいらしい。身体にとっては負担の少ない結果になった。本当に人生とはわからないものだ。
医師から線維筋痛症は腎臓が弱い人が多い。新たな情報を得ることができた。ちなみに、私は急性腎炎で2回入院している。すごく納得できる情報だった。これからも塩分のとりすぎには気をつけよう、心に誓った。
救急車の中から連絡したパートナーが迎えに来てくれた。
顔色が悪い、とても申し訳ない気持ちになった。
救急車の中から電話をするなんて、非常識じゃないか?
もちろん、救急隊員さんに許可は得た。自分の状態や診察券の場所など、サクサクと応える姿に『なんなんだ、こいつは』という顔をされた。小学生時代、母の付き添いで二桁以上も救急車に乗った経験がある。だから、何を聞かれるのか分かっている。意識があるときに救急車に乗るのは20年ぶりだ。けれども、大きく変わっているのは装備ぐらいである。
ちゃっかり、脳に救急車の装備の変化を叩きこんだ。後々、文章のネタにするためである。救急車に意識がハッキリしている時に乗る。そんな機会はめったにない。
余裕がありすぎじゃないか?
あるはずがない。もし余裕があるなら、タクシーで病院に向かっている。一歩も歩けないからこそ、救急車を呼んでもらったのだ。だが、体調の悪さとネタ集めは別の話である。それにネタ集めに集中することで、身体の苦痛から意識を逃がせる。貴重なネタが増え、身体の苦しみを軽くできる。やらない理由がない。
この何でもネタにできる感覚、もじ書き最大の強みだ。
ネタ集めをするのだ。
この感覚になった瞬間に冷静になれる。もう流産していたとはいえ、お腹の子がいなくなった。それを哀しみ、パニックになりそうな心を抑えられる。他人目線になるので、感情ではなく理性が強くなる。どれほどツラい出来事も、画面の向こうの世界のように感じられる。
哀しみをしっかりと受け止める。
心の痛みを軽くするために必要ではある。
だが、トラブル時にすることじゃない。
例えば、今回のように救急車で運ばれている最中に泣き出したとする。必要な情報を救急隊員さんに伝えられず、興奮して体調も悪くなる。家族に迎えに来てもらう連絡もできない。結果、状況が悪化する未来につながってしまう。トラブルが起こった時は、何よりも冷静さが大事だ。次に決断の早さが続く。パニックは傷口を広げるだけだ。
そして、もじ書きは人生のすべてがネタである。楽しいことや嬉しいことだけじゃない。息をしている自分を憎悪する。騙されて踏みつけられて悔しい。そんな忘れ去りたいような出来事の数々すら、文章の元になる。詳しい内容を言葉にしなくても、自ら味わった体験は文章に現れる。
自分の人生にひとつも無駄はない。
そんな風に考えられる。
それだけで、心が軽くなる生き物もいるのだ。
私のように。
病院から帰宅して1日がたった。相変わらず体に力が入りにくい。お腹もぎゅうっと引き絞られるように痛い。しばらくは満足に動けないようだ。今回得た救急車ネタも利用はしばらくお預けだ。まぁ、帰宅後にメモをしたので問題はないが。苦しみと引き換えに得たようなネタだ。無駄にする気は1ミリもない。転んでもただでは起きない、それが私の生き方である。
無駄だった。
この感覚ほど、人を疲れさせるものはない。
e-hon(2020年6月1日、売切中)
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自己紹介でもある記事
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