歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】昔は批判、今は賞賛

昔は批判、今は賞賛

 

2020年4月8日 自宅 

 

本日、日本は緊急事態の対応に突入した。ネット上には、ガラガラの交差点の画像がたくさん投稿されている。海外のようにキツイ罰則はない。それでも、多くの人が外出を控えた。

 

海外では日本を賞賛するコメントが飛びかっている。

 

ちょっと、待ってほしい。

おかしくないか。

 

自主性が無くてダメだとか、

古臭い行動ばかりしているとか、

自由が無いとか、

 

ボコボコに叩いていたよね?

 

これは、日本国内でもチラホラ見た。

 

ほとんど外出しないなんて、おかしい。

ゲームなんて、有害でしかない。

ひとり飯なんて暗い。

 

去年はよく批判の的にされていた行動が褒められている。中身が入れかえったのか。そんな風に疑いたくなるほど、意見をガラッと変えた人がいる。急に無口になった人もいる。 状況が変われば一瞬で消え去るほど、常識はもろい。知っていはいたが、ここまで豹変されると苦笑するしかない。

 

一人暮らしが多い。

スキンシップが少ない。

主張が弱い。

 

海外で責められやすい行動が、感染症の流行を防ぐ対策にはプラスになっている。

 

海外は大家族で暮らしている家庭が多い。その結果、家庭内感染が二けたも不思議じゃない。抱きしめたり、握手したり、頬に口づけるスキンシップなどが感染の広がりを助けている。そして、マスクをするか、しないか。ちょっとした行動すら、主張の対象になる。マスクをしているせいで、集団リンチにあったりする。残念ながら、死亡した人もいる。

 

常識というのは、たいてい日常が基準だ。つまり、非常時には常識が邪魔をすることも少なくない。津波が迫っているときは、赤信号だろうと無視して逃げるのがベストだ。悠長に信号待ちをしていたら、波にのまれてしまう。

 

そして、海外の常識と日本の常識を見比べるとある特徴に気づく。集団行動? それは特徴の一部に過ぎない。根っこにあるのはコレだ。

 

災害特化

 

日本の常識は災害対策を軸に出来ている。地震・水害・噴火・感染症など、災害時に多くの人が助かるような行動が常識になっている。

 

災害時に団結できなかったら、被害は拡大する。災害と感染症はセットだ。お辞儀くらい距離が離れていれば、感染の確率を下がられる。清潔であれば、食中毒も防げる。我慢して精神を鍛えていれば、失った哀しみから立ち直りやすい。日本人は災害が育てた。そう言っていいほど、災害にぴったり適応している。

 

それを証明するかのように、去年までは非難の対象だった行動が賞賛されている。引きこもりが社会問題だと言っていた。そんな非難の対象だった引きこもりの人たちが、教える側に回っている。狭い部屋での快適な過ごし方について、引きこもりほど詳しい人はいない。

 

落ちこぼれが先駆者に切り替わった。

この流れ、まるで感染症の到来を予測していたかのようだ。

 

常識がひっくり返った。

その結果、社会の評価もひっくり返った。

本人の行動は何も変わっていないのに。

 

 常識と同じく、評価も当てにならない。

新型コロナウイルスが証明してくれた原則だ。

 

 

トラブルは優秀な先生である。

命の危機ほど、人を真剣にする機会はない。

 

 

 自己紹介でもある記事

www.ayube.jp

 

↓ ランキングに参加中です。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村