書籍『失われた報道の自由』に驚きを感じない
2020年12月22日 自宅
ひとつじゃわからないね。
どんなことも。
ペンを持つ手が震える。
そんな体調だったので、ひとこと日記を書くのも1か月ぶりだ。今日も、書く気はなかったのだが。パートナーが貸してくれた本に心を動かされたので、久しぶりに手書きした。文字を記すための真っ直ぐな線すらブレる。箸より重いものを持ったことがないではなく、箸より重いものが持てないである。こんなことで、良いとこのお嬢様気分を味わえるとは思わなかった。
書籍『失われた報道の自由』
マーク・R・レヴィン
どこも同じかい!
これが、ノートに記したすべてだ。
書籍『失われた報道の自由』は、アメリカの報道についての本だ。まずは現在のアメリカの報道について、次に植民地時代~現代までの報道について、最後にどういう報道が望ましいか、大きく3つに分かれている。
アメリカの本なのに、
内容に見覚えがありすぎる。
あれだ。
日本と同じだ。
日本の報道の在り方を責める内容と重なってみえる。「海外と違って、日本は報道の自由がない」と耳にしたことは何度もあるが。この本に書いてあることが事実に近いならば、海外も日本と変わらない。
書籍『失われた報道の自由』は保守を応援する人が書いた本だ。日本とは違い、海外の本は公平よりも意見の主張が優先されやすい。出版する以上、ある程度のデータの裏づけはつけるが偏りは日本の本よりもキツイ。その偏りを計算して読んでみても。報道の流れ方は違っても、事実をゆがめるという問題の本質は日本と同じだ。
情報は疑うものだ。
そのまま受け入れてはいけない。
時代も、地域も、民族も関係ない。
あらゆる古典に書かれている原則は揺るぎない。
それなのに。
日本では、
「海外では、公平な~」
海外では、
「日本では、公平な~」
そんな言い方を見かけない日はない。
情報は、一か所からでは何も掴めない。
比較する情報がそろって、はじめて事実に近づける。
書籍『失われた報道の自由』は、その基本を改めて教えてくれた。
この感想を「面白い本を貸してくれてありがとう」の言葉と共にパートナーに伝えたら。「相変わらず、あんたの思考回路はドス黒いな」「ちょとは驚け」と返ってきた。
高校生までに幾度も『韓非子』『孫氏の兵法』を実践で利用していた。修羅場慣れした人間が世間の薄暗さをみせられたぐらいで驚くわけないじゃろ?
パートナーは
私のに幻想を抱き過ぎである。
報道の自由?
それが存在するのは空想の世界だけだ。
自己紹介でもある記事
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