歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】良い選択は常にあるのか?

良い選択は常にあるのか?

 

2020年9月20日 自宅

 

どっちがマシか?

 

選びたくなくても、選ばなきゃいけない時がある。

 

 

海外のニュースサイトで空しい気持ちになった。『東南アジアで児童婚が増えている』という内容だ。家族が暮らしていくために、結婚という名目で売られている女児が感染症の流行で増えているらしい。しかも、急激な勢いで。

 

「ひどい」

「おかしい」

「間違っている」

 

責めるのは簡単だ。だが、現地の人にしてみれば女児を売らなければ家族全員が死ぬのだ。親が遊び金欲しさで子供に売春させるのとは意味が違う。みんなで援助すれば? 児童婚について書かれた表紙を目にしたことがあるが、そこには2億人との数字があった。感染症の流行前ですら、2億人の女児が売られていたのだ。この状況をなんとかしようとするならば、売られた女児だけでなくその家族の生活も考えないといけない。貧しいままなら、また別の子が売られるだけだ。しかも、感染症の流行で人数が増えている。数年で解決するような根の浅い問題じゃない。

 

子供一人を犠牲に全員が生き残るか。

家族全員で死ぬか。

 

このふたつの選択しかないのだ。

 

「女性だけが虐げられている」

 

これは、さすがに言い過ぎだ。女児が売られているので女性だけがひどい目にあっているようにみえる。それは、先進国の視点だからだ。貧困が厳しい国の仕事は今でも手作業が多い。農作業も、家の仕事も、力仕事だらけだ。お金を稼げる仕事は女性には少ない。最も家計に貢献できない人員から売られているのだ。力仕事ができない男児がどういう目にあっているか。どちらの立場も悲惨だ。

 

「日本人がそんなことしない」

 

寝言にしか聞こえない。日本も貧しい頃は子供を売っていた。飢饉で食べるものがなく、産まれたすぐの赤ちゃんを殺していた時代だってある。明治初期は海外に売られた子だっている。食べていけないという環境では、どんなことでも行われてしまうのだ。

 

良い選択を選ぶ。

 

正しいことだろう。ただ、それは良い選択が残っている場合だ。最悪の選択と悪い選択しか残っていない時もある。さらにひどい場合は、最悪の選択と最悪の選択しかなく、どちらがマシか悩むときすらある。選ばないを選択できれば、どれほど幸せか。悩む時間すらないこともある。

 

どれほど辛くても、選ばなきゃいけない。

 

そういう選択を突きつけられることがある。

人生とは、厳しいものだ。

 

この選択を常に避けることはできないが減らすことはできる。すごく対策は単純だ。単純だが、達成しにくいことでもある。

 

お金があればいい。

 

身も蓋もないが、これが現実だ。

 

児童婚の場合、感染症の流行で景気が悪化して貧しい家が増えた。その結果、児童婚も増えてしまった。ということは、貧しい家が減れば児童婚も減るということだ。女児を売る人たちだって、売りたくて売っているのではない。売らずに済む状況なら、そんな選択は選ばない。先進国でも児童買春があるので、生活に困っていなくても売る人がゼロにはならないだろうが。少なくとも、今よりは大幅に減ると思う。『景気対策は貧困対策』『貧困は悲劇の素』なのだ。人の命より景気を優先する行いに思うところはあるが、完全否定するのは難しい。

 

地獄の沙汰も金次第

 

この言葉を、私は否定できない。

貧困を味わった者としては。

 

 

良い選択がある。

そう心から思える人は、幸せな人なのだ。

 

悪さを比較する天秤を

必要としなかった人なのだから。

 

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