歴史小説に言葉の威力を学ぶ
2020年10月18日 自宅
まったく違うようでも。
実は同じなんだ。
歴史小説が好きだ。
古典からネット小説まで、特にこだわりない。面白いと感じるか。それだけが、判断の基準だ。何度も、何度も、ページが外れるほど繰り返し読んだのは。隆慶一郎氏の『影武者徳川家康』がはじめてだった。最近はイスラフィール氏の『淡海乃海』がお気に入りである。片方は新潮社、もう片方はライトノベル、ジャンル違いと言っていいほど文章の持つ雰囲気は違う。
歴史もの
この共通点しか無さそうだが。実は似ている点がある。これは、この2冊だけでなくすべての歴史小説にも見られる。
過去と未来が交錯している。
古代、中世、近世
どの時代を扱っていたとしても、文章の端々に現代の言葉が紛れ込む。どれほど古い時代を扱った歴史小説でも、現代では使われていない物や行事などを紹介するとき現代語を使っている。
例えば、よく長さの説明にm(メートル)の記号が使われているが、これが日本で使われだしたのは明治時代だ。それまでは一反とか、一尺とか、別の単位が使われていた。読者に伝わるように説明しようとするならば、mの表示は外せない。実在する物を例にしている場合もあるが、その物は当時の姿で想像されることを期待されていない。読者の身近に存在する物を当てはめてもらうことで、mを使う代わりにしているのだ。つまり、脳内では一瞬だとしても文章が描く過去の世界に現代が割り込まれる。
さらに言うならば、言葉が当時の使い方じゃない。江戸時代ぐらいの本ならば、特に困ることなく読めると勘違いしている人がいるが。実際には、昭和初期でも微妙に意味が異なる言葉や漢字が出てくる。江戸時代なんて、藩を越えた行き来が制限されていた時代だ。交流に通訳者が必要なほど、江戸で使われている言葉とは違う地域がいくつもあった。歴史小説の描く時代の言葉で書かれたとしたら。読めない文章が出来上がる可能性大だ。
歴史小説から受ける印象の違いは、どれだけ現代が混じっているかの差で大きく違う。『影武者徳川家康』は現代が最小限になるように工夫されている。『淡海乃海』は逆に現代をひっぱりこんでいる。どちらがいいというのはない。ただ、違うだけだ。
この違いに気づいた時、言葉の与える影響の強さを感じた。たとえ、同じ時代を扱っていたとしても使う言葉の選び方で読者に与える印象を大きく変えられる。よくよく読み返すと、どちらの本もシリアスな場面では現代が少なめ、ほっと気が抜ける場面では現代が多めだった。使う言葉の選択で、舞台で照明が変わった時のように自然と場面展開を行っている。
何を語るかは大事だが、
どのように語るかも同じくらい大事なんだな。
言葉の威力を思い知った。
過去と現代
違った時代を同時に楽しめる。
これだから、歴史小説を読むのはやめられない。
感じる味が器で変わるように。
同じ内容でも
使う言葉が違えば与える印象は変わる。
手を抜いてはならない。
記録に残るものは、特に。
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自己紹介でもある記事
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