歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】統計データは説得用

統計データは説得用

 

2020年10月26日 自宅

 

データで決める。

 

これ、違うんだな。 

 

 

 統計データは大人気だ。ビックデータだとか、情報通信技術の発展による成果だとか。最近、統計データが注目が集まったような書き方がされているが、そんなわけがない。スマートフォンがこの世に無く、パソコンすら一般的じゃなく、紙だけで情報を集めていた時代でも。統計データは人気はあった。

 

人は安心が欲しい。

 

接客業や営業で働くとよく理解できるのだが。欲しいモノというのは、触れた瞬間に決まっている。目の色や口元、声の高さやしぐさなどに現れる。多くの人は、すぐには飛びつかない。「損をしたくない」「自分の判断は正しいのだろうか」「これを購入すると、今月の生活が」など、後悔したくないという気持ちがブレーキをかける。このブレーキを外してくれるのが統計データだ。『多くの人が購入している』『満足という回答が多い』『購入した結果、増えた自由になる時間の平均』など、ブレーキにあう統計データを示す。暗に「あなたの欲しいという想いは正しいですよ」と伝える。スタッフができるのは、欲しいモノに出会う機会を増やす事と欲しいという気持ちの後押しだけである。

 

これは個人レベルだけでなく、

国のような大きな組織でも変わらない。

 

ニュースなどでは、「調査の結果、必要に迫られたため法律を作りました」と流されたりするが。順番は逆である。先に目的があり、その目的を支える統計データを探す。これのえぐい例が人種差別だ。『自分たちの人種は優れており、他の人種は劣っている』、現代では考えられないような科学論文が数多く発表された時代もある。

 

統計データを仕事で利用すると、どれほど当てにならないか実感できる。ちょっと対象を変えるだけで、情報を集める場所を変えるだけで、統計データのどこを切り取るかを決めるだけで。いくらでも伝える相手に与える印象を変えられる。それを知った日、『二度とグラフは信用しない』と心に誓った。あくまで統計データは参考なのだ。決断を左右するにはブレが大きすぎる。

 

それなのに。

 

集めたデータ数が多いだとか、

数字で表されているだとか、

公的な機関が発表しただとか。

 

本質の所では、個人の決定を変えることすらできない。そんな統計データに振り回される。人というのは、自分が信じているものが正しいと思いがちだ。統計データの素晴らしさを強調する人が、自分の意見にはどれほど統計データを集めても否定を許さない。そんなダブルスタンダードをどれほど目にしたことか。

 

統計データを集めるよりも、

相手の欲望を探る方がよほど予測精度が上がるのに。

 

技術がどれほど進歩しても、

人というのは変わらないものである。

 

 

自らの欲望を肯定するためならば、

どんな大義名分も作り出す。

 

統計データも、

その材料のひとつにすぎない。

 

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