歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】関係と距離は比例する

関係と距離は比例する

 

2020年8月28日 自宅

 

わかりやすいな。

 

これが、時事ニュースの面白さだ。

 

 

日本の首相、辞任を発表する。

 

このニュースが8月28日に流れた。私は日本語のサイトで内容を確認後、多言語のニュースサイトを巡った。他国のものであれ、現地語以外で書かれたものは外向けだ。その国の人たちの多くがどこに興味を向けているか。それを知るためには、現地語のサイトをみるのがいい。

 

アメリカ・ロシア    トップニュース

アジア・中東・南米   バラバラ

欧州・アフリカ     最初のページにはある

 

国同士の関係というよりも距離でニュースの扱いが違っていた。一部の例外はあるが、国と国の距離が近いほど扱いが大きい。経済関係のサイトも例外枠で、目を通したものはすべてトップニュースだった。日本経済は、未だ世界にとって小さくないようだ。

 

どれだけ、物理的な距離があるか?

 

その距離の差は、互いの関係に大きく影響を与える。

少なくとも、近ければ無視はできない。

 

この法則は人間同士でも変わらない。

 

どれほど仲が良い相手でも、年数度しか交流がなければ思い出す回数は減る。どれほど仲が悪い相手でも、毎日のように顔を合わせていれば忘れることはできない。一言の会話もないまま何年も過ぎていたとしても、同じ家に住んでいれば相手を意識してしまう。

 

逆に言えば、距離を調節するだけでも人間関係をコントロールできる。仲良くなりたければ近づき、去りたければ遠ざかればいい。

 

ただ、気をつけたいことがある。お互いにちょうどいい距離というのがある。こっちが近づきたくても、あっちは離れたいどころか存在に気づいてすらいない場合もある。温度の違う水を混ぜたときのように、最終的にはお互いが受け入れられる距離で落ち着く。位置を動かせない国みたいに、血縁のような法律で固められた関係は少しややこしいが。『体は近くても、心は遠い』、家庭内別居のような状況になることもある。

 

それと、距離の調整はゆるやかさが大事だ。人間の心は安定が大好きだ。急激な変化には反発が起こる。急に近づくと避けられ、突然の別れで追いかけられる。恋愛ドラマでよくあるシチュエーションは実に正しい。大きなトラブルにしたくないなら「二度と顔も見たくない」と思っていたとしても、クマに出会った時のようにじわじわ離れるのがいい。相手が暴力をふるうとか、借金を押しつけてくるなど、大きな実害があるなら別の対応になるが。

 

人間関係となると、すぐに「どんな話をするか?」という対策に走りやすい。見た目やジェスチャーなどが付け加えられる時もあるが、基本は会話がメインになる。確かに、会話は人間関係の柱だ。そこを否定するつもりはまったくない。ただ、「月に何回、顔を見たか?」の影響力は馬鹿にできない。会話ゼロでも、相手の眼を見て軽く頭を下げる。よほど相性が悪くない限り、親近感は自然と上がっていく。

 

言葉にすると、面倒なことになりそうだ。

 

そう感じたとき、私はいつも距離の調整を利用する。相手が違和感を覚えない程度のスピードで距離を変える。自分にとって、良さそうなポイントで停止する。その場所にずっといると相手もその距離が当たり前だと思い出す。人の慣れという習性は便利なものである。

 

表情と言葉以外の変化は気づかれにくい。

 

人生から学んだ知恵だ。

 

 

顔見知り

 

この言葉の深さを知る人は少ない。

 

 

 自己紹介でもある記事

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