梅と桜は違うのだよ
2020年10月28日 自宅
状況は変わっているのに。
いつまで、過去を引きずるのだろう。
「新型コロナウイルスは風邪だ」
こういう意見を未だに見かける。言いたい気持ちはわからなくないが、さすがに無理がいある。インフルエンザの感染者数と死者数、どちらも減少するような対策をしているのに感染の流行が収まらない。後遺症の報告も多々ある。集中治療室に放り込まれるまでの猶予が短すぎる。これで、風邪と同じ症状というのは無理がある。
『新型コロナウイルスが風邪だったらよかったのに』
おそらく、感染症の流行で日常生活が乱されたのだろう。新型コロナウイルの拡散で被害を受けた人は多い。否定したくもなる。だが、現実というのは人類の都合で動いていない。「オリンピック開催のタイミングなんて酷すぎる」なんて意見も聞いたが、トラブルというのは最も嫌なタイミングで襲ってくるものだ。さらに言うとトラブルは単独では来ない。少なくとも2、3件は他のトラブルが重なる。そんな運命を恨んでも、状況というのは1ミリも改善しない。どれほど嫌な現実でも受け入れるしかない。
梅は梅
桜は桜
ペンキで色を塗っても、花びらをハサミで切り裂いても。梅は桜にはならない。桜も梅にはならない。木に咲く花という共通点が当たっとしても、同じものには決してならない。遺伝子が混じって、別の何かに変わることはあっても。それぞれに成り代わることはあり得ない。
過去の思い出というのは厄介なものだ。実際に起こった出来事よりも輝かしくみえる。そんな幻想に縋ってしまえば、未来どころか現実すらも食いつぶされてしまう。トラブルを乗り越えたいならば。見たくない現実すらも直視して、出来る限りの対応をするしかない。現実から逃げるほど、対策が遅くなるほど、状況は悪化していき手に負えなくなる。まぁ、一生逃げ続けることもできなくはないが。そういう人の死相はあまり良い顔をしていなかった。私は選びたくない。
おそらく、状況はまだまだ悪化する。
楽観論が残っているうちは、トラブルが起こりやすい。
これも、歴史が証明している厳しい現実だ。
希望も過ぎれば、
現実を食い荒らす。
現実の土台なき期待は
自らの首を絞める紐にしかならない。
自己紹介でもある記事
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