書籍『タスキメシ』に優しさの苦しみを教わる
2019年12月4日 自宅
昨日、興奮しすぎたらしい。
また、熱が上がった、
家族のやれやれ顔が、胸を突きさす。
違う、今回は私が悪いのではない。
映画が面白すぎただけなんだ。
そんな言い分が通るはずもなく、またベッドに放り込まれた。咳をしていないので、読書の権利だけはもぎ取った。この流れ、小学生の時に病院で隔離された日々を思い出す。あの2週間はきつかった。
体はしんどい
読書は禁止、TV視聴は1日1時間
腎臓病の人向けなので味がない
ひとり、ベッドの上でボケーとしているしかない。しかも、無理をしていないかと看護師さんが見回りに来る。 感染症が治る2週間、一歩も部屋を出ることは許されなかった。それどころか、ベッドで座っていることすら許されなかった。あの時に比べれば、今は天国だ。
ちなみに本日、読む本は決まっている。書籍『タスキメシ』だ。東京マラソンを3時間台で完走する友人から教わった。走るのが好きな人には、たまらない小説らしい。欠片も私には当てはまらないが、友人が熱く魅力を語ってくれたので読むことにした。誰かを熱狂させる本は、面白い作品が多い。私の経験からくる結論だ。
期待を胸にページをめくった。
うん、いい本だ。
友人よ、ありがとう。
心打たれる作品に出会わせてくれて。
駅伝の話と言うから、さわやか系と思っていた。いい意味で裏切られた。さわやかさはあるが、底に流れているのはドロドロとした人間の感情だ。血を吐くほど頑張っても能力の差を超えられない苦悩、身内への嫉妬、女の狡さ、高校生活を舞台に描き切るとは凄まじい。つづられる言葉は穏やかで優しいのに、包まれているテーマはどこまでも重い。答えのでない多くの問いに真正面から向き合う、読みやすいが奥深い本だ。
特に印象に残ったのは、優しくある大変さだ。自分が余裕があるときでも、優しくあるのは難しい。それなのに、この作品は『自分が絶望しているときでも、人に優しく出来るか?』と問いかけている。優しい人だと信頼される方は、この問いにイエスと答えた人だ。なんて、険しい道なのだろう。
「誰にでも優しくしよう」
「それが、自分の為だよ」
これほど正しく、難しい言葉はない。優しくあるというのは、相手を選ばない。夢にみるほど憎んだ相手やその同類、顔を見るのも嫌な相手も優しくする対象に含めろと言うことだ。内心を偽ることは求めていない。憎んだまま、嫌ったままでいい。だが、どんな相手にもいたわりの態度でいることを求めている。しかも、自身が絶望しているときにも。
優しさは誰かの苦しみ、そんなときもある。
つくづくと実感させてくれる本だった。
ふと、家族を思った。本好きの人間に読むなと言うのは、優しさだ。私が嫌がるのをわかっていて、それでも元気でいてほしいから憎まれ役をしてくれている。子供の頃に見回ってくれた看護師さんも、美味しくないご飯を作ってくれた方も、病気を早く治してほしい一心で行動してくれたのだ。その優しさをないがしろにしている私は、ダメ人間でしかない。
ごめんさい。
もう少し、自分を大事にします。
無理はほどほどにしよう、痛感する一日になった。
優しくある、
これは最高難易度だ。
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