不安を抱えてすすむ
2019年12月7日 病院
「おまえ、妊娠しているんじゃないか?」
一瞬、息が止まった。
私は今、産婦人科に来ている。薬局で買った妊娠検査薬で陽性反応が出たので、まず無駄足にはならないだろう。きっちり、パートナーも付き添ってくれている。
ちなみに、妊娠に気づいたのはパートナーである。私はまったく気づかなかった。さすが元バツイチ、経験者は違うなと感心した。それなのに、私よりも動揺している。頼りになるのか、頼りにならないのか。不安定な人である。
動揺してない風を装っているが、私も混乱はしている。心がダイレクトに表情に現れないほど、演技の着ぐるみが分厚いだけである。加えて、自分よりも動揺している人がそばにいると、なぜか落ち着く。人間の精神構造は不思議だ。
現在の心境は、不安半分の喜び半分だ。
一昨年だったら、不安が9割だっただろう。
原因不明の病気だったのだから。
私は20歳を迎えるまでに、家庭のいざこざを嫌と言うほど見てきた。両親や親せきがやらかしたトラブルの始末を、成人してもいないのに何度もした。頭を下げた回数は小学生の段階で覚えていない。そんな私には結婚がいいモノとは思えなかった。なにより、子供が笑顔で暮らす家庭を知らない私に子育てができるとは思えなかった。
おまけに、生まれた時から原因不明の病気を患っていた。記憶にある前から、ずっと心身の苦痛に耐えてきた。この苦しみを子供に味あわせるのか。イエスとは思えなかった。
支えてくれる信頼できるパートナーがいる。
どんな病気か、わかっている。
この2つが揃ったからこそ、無邪気に喜べる。
それでも、不安がなくなるはずもない。
体の貧弱さは変わらないからだ。
別に、私の命が落とすのはいい。
母子ともに死亡でも、受け入れよう。
だけど、
子供に置いて逝かれるのは嫌だ。
私の体力の無さで、十月十日もつのだろうか。
この不安が晴れるはずもなかった。
なぜ、嫌な予感ほど的中してしまうのだろうか。
初診日なのに、大病院を勧められた。
最新の血液検査の結果とお薬手帳を持参した。医師は「この数値なら問題はない。だが、年齢が39歳なので大病院に早めに向かった方がいい」と言われた。可能性がある、と言う話し方で流産の説明をされた。医師の、こちらにショックを与えまいとする気持ちはありがたい。だが、表向きの言葉にごまかされて生き抜けるほど、私の人生は甘くなかった。
流産の可能性が高いのか。
しかも、救急車で運ばれるレベルの。
こういうときは、自分の鋭さが嫌になる。
わからなければ、不安もなく妊娠できた時間を喜べるのに。
少し悩んだが町医者である、こちらの病院でお世話になることにした。大病院は町医者では手に負えない患者が集まっている。ハッキリ言えば、細菌とウイルスのデパートだ。よりにもよって、妊娠中にリスクを増やしたくない。たとえ後々行くはめになるとしても、回数は最小限に押さえたい。
パートナーには、妊娠がわかったとだけ伝えた。動揺中の人に、さらに負担を与えるのは心が痛む。結果が医師でも確定できない状況を、わざわざ伝えなくてもいい。後で叱られそうだが、素直に謝ればいいだけだ。
今回、唯一の朗報があった。子宮の病気が早期に見つかった。赤ちゃんには悪影響はないらしい。心の底からホッとした。今日一日の私の感情はジェットコースターだ。心臓バクバクどころではない。はた目には、笑顔で冷静に対応している人にみえるだろうが。
表情が崩れると、パニックがひどくなる。
そして、パニックになって状況が良くなることはない。
だから、どんな時でも冷静さを保つために微笑みを維持する。ことばも明るい言葉を選ぶ。けれども、不安を見ないふりはしない。押し込めてしまえば、いずれ不安がふくれあがって爆発する。うちに帰ったら、不安に感じていることを書こう。パートナーに見つからないように。そして、書いた紙を水に流そう。こういう時のために、水に溶ける紙は常備している。修羅場を潜り抜けた経験は、いつだって私を助けてくれる。
まだ、妊娠が確定して一日目だ。
ここで落ちこむには早すぎる。
まずは、
赤ちゃんが心地いい生活を調べよう。
心配そうに待合室で座っていたパートナーに笑顔を向けながら、これからの楽しい予定を想像していた。心のどこかで、不安を紛らわせるためと自覚しながら。
不安は
誰かにぶつけるものでも
目を逸らすものでもない。
不安は、受け入れるものだ。
自己紹介でもある記事
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