歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】新型コロナウイルスはリトマス試験紙

新型コロナウイルスはリトマス試験紙 

 

2020年3月7日 自宅

 

わかりやすいな。

 

幼少期に確信した。

あの法則は、変わらないようだ。

 

 

新型コロナウイルスで世間が騒がしい。感染症の恐怖だけではない。この騒ぎをきっかけに、いろんな場所で問題がドカドカあふれている。

 

組織

 

現れた問題は規模はバラバラ、種類もバラバラだ。暴言、暴力、ごまかしなど、書ききれないほど様々なトラブルが湧き出している。これだけなら、人類に再び絶望してしまいそうだ。だが、現実は違う。

 

助け合う。

 

いらぬ被害を受けた人をかばったり、寝る前を惜しんで必要な情報を配信したり、身近な人と支えあったり、互いを助け合う話も聞こえてくる。欲まみれの話題の方が多いが、頭を下げて見習いたい話もポツポツと浮かび上がってくる。それぞれの本性が日々、さらされていく。

 

つくづく、思う。

修羅場というのはリトマス試験紙だな、と。

 

私が5歳の時の話だ。母の弟である叔父が、自殺に近い形で亡くなった。当時はバブル期、1階建てのちっさい家に住む権利に500万円の価値があった。叔父は独身だった。

 

流血寸前の葬式

 

泣き、わめき、つかみあう。

醜いとしか言いようのない争いだった。

 

にこやかな笑みが、口元がひん曲がり見下す表情に変わる。哀しみに沈んでいた顔が、怒りで赤黒く変色する。まったく関係のない人が、面白半分で争いの炎に薪をくべる。

 

ここまで変わるんだ。

 

口にする言葉も日常の行動も、

すべて本当じゃないんだ。

 

小学校入学前に、私が学んだ事実だ。

この考えは、今もまったく変わっていない。

 

同時に、つかんだ法則がある。

 

思い出したくないような葬式の中でも、いつも通りの態度だった人もいた。普段は大人しいが、ハッキリと言うべきことを語る人もいた。可愛がってくれた叔父の死を、ただ哀しむことすら出来ない。そんな苦しみの中でみた、まっすぐな姿に少し救われた気持ちがした。もうひとつ、私は学んだ。

 

人の本性は、修羅場のときは隠せないんだ。

 

普段の姿は偽ることができる。だが、余裕を失えば仮面がはがれる。それが、その人の本性だ。修羅場のときほど、よく観察するべきだ。どれほど、目を背けたい争いに心が痛んだとしても。

 

叔父の死と共に刻まれたこの想いを、ずっと守って生きてきた。そのせいで人間不信になり絶望の淵に沈んだこともある。だが、今も命があるのはこの想いのおかげである。『この人の本性はどうだろう?』、この問いが私のピンチを何度も救ってくれた。助けを求める相手を、間違える事もなかった。

 

 今回の新型コロナウイルスの騒ぎでも、私はじっくりと観察している。どの液体につけるかでリトマス試験紙の色が変わるように、これまでとは違う発言をする人が増えた。やさしい言葉で人気だったのに、誰かをひどく傷つける投稿をした方がいる。趣味のサイトだったのに、必死で医療情報を投稿している方がいる。ほとんど変わらぬ姿を保っている方がいる。人も、組織も、国も、それぞれの本性が鮮やかに目に映る。暗い色もあれば、明るい色もある。穏やかだったり、激しかったり、とてもカラフルだ。

 

私は、どんな色なのだろう?

 

自分の顔を肉眼でみることができないように、自らの本性は自分ではわからない。美しくなくても、せめて誰かを哀しませる色でなければいい。自分の本性がわかるリトマス試験紙が切実に欲しい。叶うことのない、想いだ。

 

 

悪人と善人がいるのではない。

人の中に、悪と善がある。 

 

それぞれの行動の違いは、

心の中の善悪のバランスの違いに過ぎない。 

 

心から憎んだ相手と同じ要素は

自分の中にも存在しているものだ。

 

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 自己紹介でもある記事

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