対面がすべていいのか?
2020年3月8日 自宅
「対面じゃないと、わからない」
私は同意できない。
世界中で感染症が流行している。
いろんな対策が叫ばれているが、最も効果的なのはコレである。
誰とも会わない。
物や動物についたウイルスで感染することもある。だが、ほとんどは人同士が近づくことで感染が広がる。人に触れる時間や回数が少ないほど、感染症に倒れる確率が下がる。これは新型コロナウイルス以外でも有効な対策だ。だから私は、免疫の病気持ちだとわかってからは最低限しか外出をしない。
この人に会わない対策は、インターネットが普及した現代では実行することが可能だ。だが、すんなりと話は進まない。ある猛烈な反発がある。
「直接会わないと、深い話ができない」
「同じ空間にいないと、人間関係は深まらない」
「液晶越しでは、こちらの思いが伝わらない」
私の目には、対面依存症にみえる。
こういう主張をする人は、健康な人が圧倒的多い。
なぜ、わかるか?
病人は、気軽に誰かに会えない。
対面でしか真のコミュニケーションがとれないならば、多くのドラマの手法だった手紙での心の交流はなんだというのだ。対面でわかりあえるなら、どうして関係のもつれで殺人事件が起きるんだ。
対面の方が伝わりやすいものは、確かにある。だが、対面じゃないと伝わらないは言い過ぎである。対面で交流できない人は人間失格だとでもいうのか?
さらに言わせてもらうならば、相手がわからないからこそ言いやすいこともある。関係が深いから、何でも話せるわけじゃない。よく対面する関係だからこそ、逆に言えないこともある。
「死の病だと告げられた。どう生きればいいか、わからない」
「いじめられていたのに、いじめてしまった」
「栄養バランスのいい食事がわからない」
見も知らぬ人に相談された、その内容の一部だ。
相談後、再び出会うことはなかった。
すべて初対面だった。
『傷つけたら、どうしよう』
『こんなこと言って、軽蔑されたら』
『心配をかけたくない』
理由は様々だが、近いからこそ言えないこともある。だから、カウンセラーのような仕事がある。日常生活と離れている相手だからこそ、言えることもあるのだ。
いろいろ相談を受けて、気づいたことがある。音声や文章だけなど、対面どころか表情すらわからない方が語りやすい。そういうパターンもあった。これは、普段よく対面する相手にも使える方法である。相手の顔を見ては言いにくいことを、電話やメール、LINEなどの音声や文章で伝える。特に文章での交流は利点が多い。相手に言葉を届ける前に確認ができるので、失言が防げる。どんな言葉を送った記録が残るで、言った言わないの決着が一瞬でつく。もめそうな内容のとき、私はよく文章での交流を利用する。
対面はコミュニケーション手段のひとつに過ぎない。現代はコミュニケーションの方法がたくさんある。これを機に、昔ながらのハガキや手紙を使ってもいいじゃないか。対面ほど関係が深まらないと感じるなら、深まるような工夫を考えればいい。『対面じゃなきゃダメ』、これはただの無いものねだりだ。
足りないものを求めるだけで、
何も変えようとしない。
それは、ただの思考停止である。
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自己紹介でもある記事
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