歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】わかりやすい≠ただしい

 わかりやすい≠ただしい

 

2020年3月15日 自宅

 

わかりやすい

 

これほど扱いが難しい表現はない。ことばをつつづるとき、わかりやすくと心がけている。だが、ワザとわかりにくく表現するときもある。

 

自分の頭で考えてほしい。

 

自分なりの答えを出した方がいい。そういう部分は、霧のように薄ぼんやりとした書き方にする。この方法は、誰かに学んでもらう時にとても有効である。

 

間違えるのが前提

 

全問正解はあまりよくない。近所の子たちの面倒をみた時も、同級生に教科の解説をした時も、職場で新人指導したときも意地の悪い問題を用意した。私も、相手も、後で困らないために。わかりやすいだけだと、3つの落とし穴にハマって大けがをする。

 

まず、飽きる。楽勝のゲームを延々と続ける人はいない。所々で行きづまる部分があるから、クリアしようと真夏のように熱くなる。飽きているかどうかは、身につくスピードに大きく影響する。いかに飽きさせないか、学んでもらう側の腕の見せ所だ。

 

次に、なめる。こんなもの簡単だと軽く考える。そして、本番で大失敗する人間を何度もみてきた。たとえ練習問題が全問正解でも、期末試験で赤点では意味がない。本番で気を抜かないためにも、適度な歯ごたえは必要である。

 

最後の落とし穴、これが最も恐ろしい。

 

心が折れる。失敗慣れしていないと、本番でのトラブルで精神が崩壊する。お客様対応がリハーサルでうまくいっても、実際に現場に出るとまず失敗する。そして、お客様に怒られる。リハーサルで失敗していないと、ここで心が折れる人がいる。だから、うまくいくリハーサルだけでなく、うまくいかないリハーサルも同じくらい重要である。怒られる新人をフォローしたり、代わりにお客様に謝るのも計算に入っている。新人を手助けするのも指導担当の役目である。殴り合う寸前に割りこんでコブシまで3センチだった。あの時は背筋に冷や汗が流れたが。チビデ、ヨカッタ。

 

わかりやすいモノばかり与えるのは、歯が生えそろった子に離乳食を与え続けるようなものだ。それでは、いつまでたっても柔らかいモノしか食べられない。うまく噛めなくて舌を傷つけてしまうとしても、歯ごたえのあるものを様子を見ながら食卓に出す。そうすれば、こちらは離乳食を用意する手間が省ける。相手は食べられるものが増える。お互いにとって、幸せな結末だ。

 

悩んでいる人を見ているのはもどかしい。つい、正解を言いたくなる。わかりやすく説明したくなる。だが、それは自分の感情がスッキリするだけだ。相手にとってはマイナスである。悪化すると「あの人にすべて聞けばいい」、依存が始まってしまう。自分の負担が増え、相手のサバイバル能力は下がる。これでは、何のために教えたのか。

 

わかりやすいが、常に正しいわけじゃない。

困難を乗り越える経験は、絶対に必要なポイントだ。

 

なお、私はイジワルな問題をつくるのが好きである。相手が間違えると『かかった』、心の内でニヤリとする。性質の悪さがプラスに反転する。世の中の不思議なところだ。

 

 

甘やかしは、最も残酷な虐待である。

生きる力を奪うのだから。

 

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